ジョン・ロールズ「公正としての正義 再説」第四部正義に適った基本構造の諸制度

以下のエントリーの続編です。

  • 「ジョン・ロールズ「公正としての正義 再説」第一部基礎的諸概念」(id:yagian:20101013:1286916789)
  • 「ジョン・ロールズ「公正としての正義 再説」第二部正義の原理」(id:yagian:20101014:1287003785)
  • 「ジョン・ロールズ「公正としての正義 再説」第三部原初状態からの議論」(id:yagian:20101016:1287188564)

ロールズの議論も、公正としての正義の概念の吟味から、現実への適用に進んできた。ますます留保が多く歯切れが悪くなって理解しにくくなっている。
しかし、とりあえず、いつものように要約をしようと思う。

ジョン・ロールズ「公正としての正義 再説」第四部正義に適った基本構造の諸制度 要約

<正義に適った政体>

  • どのような政体が好ましいか検討するためには、以下の四つの論点が考えられる。保守的な思想はこのうち後ろの三つに焦点をあわせていわゆる福祉国家の非実効性や浪費と腐敗に向かう傾向を批判してきた。しかし、ここでは、第一の論点、どの種類の政体の基本構造が正義に適うか検討する。
    • 政体の制度が正義にかなっているか
    • 政体の目標や目的を実現するように制度を効果的に設計できるか
    • 市民の利害関心、目的に照らして、定められたルールが守られるか
    • 職務や地位に割り当てられた任務が困難すぎないか
  • 政治的・経済的・社会的諸制度を完備した政体として以下の五つが考えられる。
  • 自由放任型資本主義は、形式的平等だけを保障し、平等な政治的自由の公正な価値と機会の公正な平等を拒絶している。
  • 福祉国家型資本主義も、政治的自由の公正な価値を拒んでおり、機会の平等に配慮を払うもののその達成に必要な政策が取られていない。また、限られた階層が生産手段をほぼ独占することを許容する。
  • 一党体制による国家社会主義は、平等な基本的権利、自由を侵害している。
  • 財産私有型民主制とリベラルな社会主義は、民主的政治の憲法枠組みを設定し、基本的自由、政治的自由の公正な価値と機会の公正な平等を保障し、相互性の原理によって経済的・社会的不平等を規制している。
  • 財産私有型民主制においては、生産手段を広く市民たちの所有に帰するようにする。

<立憲民主制と手続的民主制>

  • 立憲政体は、基本的な権利、自由を明記し、立法への制約と解釈できる憲法が存在する。このため、法が正義の第一原理に含まれる権利、自由と整合していなければならない。
  • 手続的民主制では、立法への憲法上の制約がなく、多数決などの適切な手続きに基づけば法と認められる。このため、基本的な自由、権利を否定する立法も妨げられない。
  • 立憲政体の方が、正義原理の政治的影響力を作り出すための教育的役割を果たすことができ、自由な公共的理性や熟議民主主義の理想を実現する見込みがある。

<政治的リベラリズムと包括的リベラリズム

  • リベラリズムが一定の生き方に敵対的であり、また、自律や個性の価値を優遇し、共同体の価値や結社への忠誠の価値に反対しているとの批判がある。
  • いかなる政治構想の原理であっても、包括的見解に制約を課し、特定の生き方を妨害、排除する。問題は、どのように包括的な見解、価値を促進し、妨害するのかということである。
  • ミルやカントの包括的なリベラリズムは、生活の多くを統べるべき理想として自律や個性の価値を涵養することを求めるが、政治的リベラリズムは、憲法上の権利や市民の権利に関する知識といった政治的構想の枠内にとどまることが異なっている。

<財産私有型民主制の経済制度>

  • 以下のような経済的・社会的な背景的正義を長期に維持しうる課税が示唆される。これらの課税によって、格差原理を厳密に満たすことはできないとしても、近似的充足、誠実な充足を目指すことができる。
    • 遺贈と相続については、受取人の側で累進課税の原理を適用すればよい。
    • 累進課税原理が適用されるのは税収を増やすためではなく、機会の公正、平等といった背景的正義に反すると判断される富の蓄積を防ぐためである。
    • 所得課税を廃し、一定の所得を超える消費総額のみに課税する消費税を採用することもありうる。

<基本制度としての家族>

  • 正義原理は社会の基本構造に適用されるもので、構造内の結社の内部生活には直接適用されない。家族も結社に含まれるため、正義原理が家族内に適用されず、平等な正義を夫とともに妻に適用できるかという疑問が生じる。
  • しかし、正義原理は家族の内部生活には直接適用されないが、制度としての家族に対し不可欠の制約を課し、構成員の基本的な権利、自由、公正な機会を保障する。
  • 財産私有型民主制は、女性の完全な平等をめざすものであり、これを達成する仕組みを含んでいなければならない。女性の不平等の原因の一つが、伝統的な家族内分業において子どもを養い育て世話する負担が女性により多くかかっていることであるならば、女性の負担を男性と等しくするか、負担に対して女性に埋め合わせする方策が講じられる必要がある。

<基本善(財)と潜在能力>

  • アマルティア・センより、格差原理で保障される基本的善(財)は「潜在能力」*1を反映していないとの批判がある。
  • しかし、平等で自由な市民としての地位を保障されることは、「潜在能力」を保障していることを意味している。このような公正としての正義に基づく基本的善(財)は、センの「潜在能力」に結び付けられている。

マルクスリベラリズム批判について>

  • マルクスは、生産手段における私有財産を伴なういかなる政体も正義の二原理を満たせないし、公正としての正義によって表現される市民や社会の理想を実現できないと指摘するであろう。
  • また、財産私有型民主制と比較して、リベラルな社会主義政体の方が正義の二原理を実現できるかもしれない。
  • ここでは、マルクスの指摘に反論せず、財産私有型民主制と労働者管理型企業とが両立できることを指摘するに留める。

第四部では、公正としての正義と現実の社会制度との関係について論じている。
しかし、格差原理を実現する社会制度が設計しうるのか、ロールズの論旨は必ずしも説得的ではないと思える。また、マルクスによる私有財産を伴なう立憲政体の権利と自由は形式的なものであるという批判への回答も歯切れが悪いことも気になる。もっとも、コミュニタリアニズムも実現へのプログラムが明確なわけではない。
政治哲学というものは、抽象的なレベルなものということかもしれない。

公正としての正義 再説

公正としての正義 再説

*1:アマルティア・セン:潜在能力アプローチ」参照 http://masm.jp/capability/