和臭、英臭

最近、ウェブログを英語と日本語の両方で書いている。日本語のウェブログは英語の直訳ではないけれど、なるべく忠実に翻訳するようにしている。その方が、日本語学習者のために役立つのではないかと思っている。
日本人が書いた漢文は、よく「和臭」がするといわれるが、自分が書いた日本語のウェブログを読み返すと、なんだか「英臭」がするなあと思う。
昨日の日記(id:yagian:20110408)でこんな文章を書いた。


I am not a his big fans, but this cd made me realize that he was one of the most important rock musicians in the Japanese rock music history.

桑田佳祐の大ファンというわけではないけれど、このCDを聴いていると、やっぱり彼は日本のロック史上重要なミュージシャンなんだなと再認識させられる。

最初はこんな風に書いていた。

私は桑田佳祐の大ファンではないけれど、このCDには彼が日本のロック史上もっとも重要なミュージシャンの一人なんだと再認識させられた。
文法的には正しいし、日本語話者だったら意味は正確に理解できるけれど、非常に「英臭」がする文章である。
「もっとも…の一人」"one of the most…"という表現は、まさに英語的発想である。無生物の主語「このCDには…させられた」"this cd made me…"も英語臭い。
もっと「和臭」がする日本語に書き換えることもできる。

桑田佳祐の大ファンというわけではないけれど、このCDを聴いているとやっぱり日本のロックの歴史に大きな足跡を残したミュージシャンなんだと思う。
歴史を通じて、日本語は外国語から影響を受け、表現の幅を広げてきた。
日本語の文章は「漢文」が基礎となっているから、「漢字」が使われている。もし、日本語が漢文から受け継いだ豊かな表現がなかったら、非常に限られた内容しか表現できなかっただろう。(だから、日本語にたくさんの「漢字」があってよかったと思う。もっと、漢字の勉強をしましょう。)
明治時代における最初期の近代日本語の散文は、二葉亭四迷によるツルゲーネフの翻訳である。近代日本語は、伝統的な日本語「やまとことば」、漢文、西洋語が合成されたものである。
村上春樹アメリカ文学を読み込んでいる。20年前には、彼の日本語はやけに英語臭いと思ったものだが、今ではすっかり自然な日本語に感じる。日本語も私の日本語感覚も変わり続けている。
Lang-8 (http://goo.gl/fuyN) で、英語や中国語や韓国語の香りがする文章をたくさん目にする。おもしろい表現だと思うことも多い。たぶん、日本語の母語話者ではない人たちが日本語の表現を豊かにしてくれているのだと思う。そんな表現も将来は「和臭」がするようになるのだろう。
私の英語は「和臭」がするけれど、英語に新しい表現を付け加えることができたら、と思っている。