夏目漱石、西洋と東洋の文化の狭間で

以前のウェブログに「近代日本語は、伝統的な日本語「やまとことば」、漢文、西洋語が合成されたものである。」と書いた。(id:yagian:20110409:1302297897)
近代日本文学において最も重要な小説家の一人と評価されている(私は近代日本最高の知識人だと思っている)夏目漱石は、近代日本を象徴している。
彼は、まさに前近代の江戸時代と近代の明治時代の過渡期に生まれた。前近代の環境で育ち、近代の西洋化された教育を受けた。
子供の頃は、前近代の知識人と同様に、漢文を勉強した。その後、東京大学で英文学を学び、研究者となった。
彼は、「文学論」の序文に次のように書いている。


翻つて思ふに余は漢籍においてはさほど根底ある学力あるにあらず、しかも余は充分これを味ひ得るものと自信す。余が英語における知識は無論深しといふべからざるも、漢籍におけるそれに劣れりとは思はず。学力は同程度として好悪のかくまでに岐かるるは両者の性質のそれほどに異なるがためならずんばあらず、換言すれば漢学にいはゆる文学と英語にいわゆる文学とは到底同定義の下に一括し得べからざる種類のものたらざるべからず。
英文学の研究のためにロンドンに留学したとき、英文学に象徴される西洋の文化を受け容れることができないことを思い知らされた。しかし、同時に、日本人は西洋の近代文化と技術を受け入れなければならないことも分かっていた。
ロンドンから帰国した後、東京大学の英文学教授の地位を捨て、西洋風の小説を日本語で書き始めた。
最後の小説となった (典型的な心理小説である) 「明暗」を書いている時、午前中に小説を書き、午後は純粋に楽しみのために漢詩を書いていたという。彼は、読者のために、西洋スタイルの小説を書くことによって近代日本人の精神を分析し、自分自身のためには伝統的な東洋文化を楽しんでいた。
彼の知性は非常に複雑で、西洋と東洋の文化、前近代と近代の間の矛盾に満ちている。彼は、東洋の文化と前近代に愛着を感じながらも、西洋の文化と近代と格闘をしていた。
この矛盾は、彼の小説と思想をより深く、豊かなものにした。非西洋世界で生まれた知識人は西洋の文化と近代と格闘するという運命を共有することで、夏目漱石の人生と小説に共感するだろう。
漱石文芸論集 (岩波文庫)

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明暗 (岩波文庫)

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