三陸海岸大津波

つれあいが買った吉村昭三陸海岸津波」を読んだ。過去、三陸海岸を襲った明治二十九年、昭和八年、チリ地震津波について、過去の証言を丹念に集めた作品である。
今回の大震災と津波の直後は品切れになっていたようだが、今は増刷されて入手可能になっている。さほど分厚い本でもないので、まじめな話、みなこれを読んだほうがいいんじゃないかと思う。
いろいろ考えさせれるところが多い本なのだが、今日は二つの話題だけ書こうと思う。
今回の大震災は、貞観地震以来という意味で地震そのもの規は千年に一回の規模だと報道されている。千年に一回の規模の地震であれば(ウェブサイトを検索した程度だけれども明確な根拠が見つからなかった)、原子力発電所の設計における想定を今回の地震津波が超えてしまったことはしかたがないという印象を受ける。
しかし、この「三陸海岸津波」を読むと、明治二十九年、昭和八年の津波は、少なくとも三陸海岸に対しては今回の大震災と同様の規模、被害をもたらしているし、福島原子力発電所における地震津波の想定が十分なものだったか疑問を感じる。(http://goo.gl/5M2Pl)
福島第一原子力発電所の第一号機が建設された時点において、過去の地震津波の痕跡に関する研究が現在と比べて十分ではなかったとは思う。また、貞観地震の規模を想定していなかったのも理解はできる。しかし、三陸海岸における明治二十九年、昭和八年の津波規模の津波が生じる地震発電所の沖で発生することを想定していなかったとしたら、それは大きな問題だと思う。
原子力安全委員会原子力安全・保安院によるの耐震基準とその検査は、暗黙のうちに現在運転している原子力発電所を停止、廃炉にする選択は避けるように設定していたのではないかと想像される。やはり、そのような前提を抜きにして、現在の地震に関する知見に基づいて停止、廃炉も現実的な選択肢に含めて安全性を検討して欲しいと思う。
もう一つ印象的だったのは、三陸海岸の町、村が、明治二十九年、昭和八年の津波によって、今回の大震災と同様に壊滅といっていいほどの大きな被害を受けていたことだ。壊滅的な被害を受けた世代がまだ生きている時期に再び壊滅的な被害を受ける。そこから二つのこと考えさせられた。
ひとつは、壊滅的な被害を受けても、そこから復興することができるということだ。明治二十九年、昭和八年と壊滅してしたたびに、復興している。その意味では、今回の大震災からも復興することができるのだと思う。
その一方で、もちろん、三陸海岸の町、村では津波対策に力を入れていたわけだけれども、壊滅的な被害を受ける可能性が高い土地に住み続けるということは、どういう意味があるのか考えさせられた。生活の基盤がある土地から離れるのは難しいのか、コミュニティへの愛着、そこから離れて生きることができないということか、また、土地への執着があるのだろうか、それとも、被害を受けても喉元を過ぎてしまえば忘れてしまうのだろうか。
また、私が執着している土地である東京も、いずれは大震災が襲うだろうし、過去に何回も壊滅的な被害を受けている。しかし、この東京から離れることはまったく考えていない。自分自身もなぜこの東京に執着しているのか、また、その選択は自分にとって、家族にとって正しいのだろうか、考え見なおさなければならないと思う。

三陸海岸大津波 (文春文庫)

三陸海岸大津波 (文春文庫)