未知との遭遇

英語版ウェブログ(http://goo.gl/RAHps)で書いたネタだったんだけど、けっこう評判がよかったので和訳を再掲しようと思う。
最近、冗談でインターネット以前の時代を「石器時代」と呼んでいる。石器時代人である私の世代と鉄器時代人の若い世代のインターネットへの考え方、そのの使い方の違いについて書いてみようと思う。
まず、石器時代にさかのぼってみよう。私は、すでにテレビは存在していた新石器時代の生まれである。しかし、私の親の世代はテレビが存在しない旧石器時代に生まれた。彼らは、「2001年宇宙の旅」で猿が「モノリス」に触れたように、テレビに初遭遇した経験があり、それを記憶している。
テレビは私の親の世代にとって、まさに生活を変えた「モノリス」である。しかし、私はテレビがない旧石器時代のことは知らない。そもそも私の生活にははじめからテレビがあったから、テレビが私の生活を変えるということを経験したこともなかった。たぶん、旧石器人と新石器人ではテレビに対する考え方が違うと思う。
私たち新石器人にとってインターネットは「モノリス」である。始めてインターネットに遭遇したときのことをはっきりと覚えている。私がインターネットに触れたのはプライベートではなく、仕事だった。もちろん、今ではプライベートでインターネットを使っているけれど、私にとってPCとインターネットは基本的には仕事用のものという感覚がある。PCは「パーソナル・コンピューター」という意味だけど、私にとっては「パーソナル」なものではなく、「公的」なものだ。多分、より若い鉄器時代人にとっては、インターネットは公的なものというよりも、私生活の一部なのだろう。
私が「モノリス」に触れたとき、CUI(キャラクター・ベイスド・ユーザー・インターフェース)のUNIXマシン (Linuxではなくて) を使っていた。ブラウザはインストールされていなくて、e-mailとデータベースへのアクセスに使っていた。前期鉄器時代では、viという当時UNIXで一般的だったテキストエディターでe-mailを書いていた。その時代、インターネットはメインフレームのコンピューターのような仕事のための機器だった。
Windows95が発売され、私にとってのインターネットの意味が変わった。インターネットに自分のPCからアクセスできるようになったし、WWWが一般的になった。マイクロソフトMS-DOSからWindows3.1で大きな進歩を遂げ、Windows3.1からWindows95でさらに大きな進歩をしたけれど、それ以降は、少なくともユーザーにとっては、MS-WordとMS-Excel同様Windowsは真価が止まってしまった。
現在、誰もがインターネットを使っているけれど、当時のインターネットユーザーは、仕事で使っている人とオタクに限られていた。そして、「ネチケット」という言葉をよく聞いた。ネットワークとコンピューターの能力が今と比べて非常に限られていたから、ユーザーはネットワークに負荷をかけないように気をつけなければならなかった。そのことを「ネチケット」と呼んでいた。もし、私が間違いをしてしまうと、すかさずネット上でオタクが私を叱りつけた。だから、インターネットの世界に入るのは少々敷居が高かった。
私のデスクトップPCとWindows95で自分自身のウェブサイトを作れることを発見し、会社の中だけで見られるものだったけど、ウェブサイトを立ち上げてみた。そのウェブサイトを見た友だちが、おもしろいから公開してみたらと言ってくれたので、このウェブサイトを始めた(http://goo.gl/MTUX)。
前期鉄器時代には、ウェブログもなくSNSもなかった。私は、ウェブサイトで日記を書くために、自分でhtmlを書いていたし、友だちと交流するために掲示板とe-mailで連絡を取っていた。でも非常に楽しかったし、もしかしたら今より楽しかったかもしれない。結局、インターネットでは、日記をつけて、友だちのウェブサイトにコメントをつけるという同じことをずっと続けている。
今はいろいろな機器でインターネットにアクセスできるけれど、私はスマートフォンiPadも持っていない。インターネットには最初PCからUNIXマシンにログインしてアクセスしたから、大きいディスプレイがありフル・キーボードがあるPCを使うのが便利だと思ってしまう。たまには携帯からメールを送ることはあるけれど、携帯で入力するのは苦手である。MacBook Airは欲しいけれど、iPhoneiPadは欲しいとは思わない。
多分、鉄器時代に生まれた若い人は、インターネットには最初は携帯で触れたのだと思う。だから、いろいろな機器でインターネットにアクセスすることには抵抗感はないのだろうなと思う。
将来、PCはなくなり、石器時代人の私は絶滅するのだろうと思う。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」。