原子力発電について

最近はこの日本語版ウェブログ英語版ウェブログ(http://goo.gl/J3DhM)を隔日で書いている。今日は日本語版を書く日ではないのだが、昨日「NHKスペシャル シリーズ原発危機 第1回「事故はなぜ深刻化したのか」「ETV特集「続報 放射能汚染地図」」を見て、原子力発電について書かなければならないと思った。福島第一原子力発電所の事故以来、原子力発電について考えてきたけれど、ここで一回まとめてみようと思う。
これまでは積極的な反原発主義者ではなかった。ハイエク的な保守主義の立場から、国が計画主義的にエネルギー政策へ介入することの効果に疑問を感じてきた。もし、国が特定のエネルギー源を促進することなく、民間事業者である電力会社に経営判断としてエネルギー源の選択を任せたとしたら、原子力発電を選択するとは思えなかった。その意味で、消極的な意味での原子力発電反推進派ということになるだろう。
現実的には、電力に対する需要に対応するためには、日本のすべての原子力発電所を即刻廃炉にすることはできない。しかし、短期的には日本の原子力発電所のすべての原子炉の安全性を評価し、廃炉地震津波対策工事の実施、運転継続の三つのランクに分けること、そして、中長期的にはそのすべての原子炉を廃炉すべきだと思う。当然、新規の原子炉の建設は行わない。
原子力発電をやめるべきだと考える大きな理由は二つある。
もともと原子力発電所は単体で完結するものではなく、核燃料サイクルというシステムの一環をなすものと想定されてきた。長期的には、軽水炉ウランを利用して発電をし、その核廃棄物を再処理して分離されるプルトニウムを高速炉で発電する構想だった。ウランは輸入される燃料だけれども、そこから生成されるプルトニウムは国産の燃料である。高速炉を使った核燃料サイクルが実現すればエネルギーの国産化が実現し、日本のエネルギーセキュリティが格段に向上するはずだった。
しかし、高速炉は実用化のめどはまったく立っておらず、また、福島原子力発電所の事故が起こった現在、より複雑かつコントロールが難しい高速炉が実用運転される現実的な可能性はなくなったといえるだろう。核廃棄物を再処理することで抽出されるプルトニウムを活用するために、ウランプルトニウムを混合したMOX燃料を既存の原子炉で使うプルサーマルという発電方式が発案された。プルサーマルに対しては安全性を疑問視する人もいるが、その技術的な是非についてはよくわからない。しかし、当初想定されていた核燃料サイクルとは違う、彌縫的な対策であることには間違いない。
さらに問題なのは、核燃料サイクルが実現しても、しなくても、原子力発電を行う限りは核廃棄物が発生する。しかし、それを最終的に処分する方法がないということである。現在、最終処分場として、安定した地盤まで深い穴を掘りそこに投棄することが想定されている。しかし、最終処分場を受け入れるところがない。原子力発電所よりは最終処分場の方がリスクはむしろ小さいような気もするが、今回の事故を考えれば、今後最終処分場を受け入れる地域がでてくるとは考えにくい。現在、核廃棄物は原子力発電所のサイトなどに保管されているけれど、これも最終的な解決策にはならない。
二つ目の理由は、原子力発電はひとたび事故が起こった場合の影響が甚大すぎるということである。
リスク・マネジメントでは、リスクを発生確率と発生した場合の影響の大きさの二つの観点から評価する。原子力発電では、事故によるリスクの発生確率を小さくするような努力が行われてきたけれど、重大な事故が発生した場合の影響の大きさを小さくすることは、本質的に難しい。仮に火力発電所に重大な事故が起こったとしても、影響はサイトの周辺に限定されるだろうし、その影響も数か月という程度だろう。しかし、原子力発電所では影響は広範かつ長期間に及び、それを除去する手段は極めて限られている。
今回の福島第一原子力発電所の事故に関して、想定が甘かったということが指摘されている。確かに、冒頭に書いた番組を見て、四つの点で想定、準備が足りなかったと思う。
一つは、津波の想定。IAEAも指摘しているけれど、過去の津波の研究を踏まえれば、今回の津波の想定ができなかったとは言えないだろう。二つ目は、電源の完全な喪失という事態の想定。番組の中で、ベントをする手続きを定めた非常時のマニュアルでは電源の完全な喪失が想定されていなかったと指摘されていた。このような事態が事前に想定できなかったかどうかは、専門家ではないからよくわからない。三つ目は、大規模な原子力発電所の事故に対応するための東京電力原子力安全保安院、官邸、原子力安全委員会の体制である。日本の電力会社で最も中心的な東京電力ですら適切に対応できないのだから、他の電力会社で同様な事故が起こった場合には、より拙劣な対応となると考えなければならないだろう。四つ目は、放射性物質が放出された後の住民の避難計画である。
個別に問題点は指摘できるのだろうけれど、本質的には、あらゆる事態を事前に想定しつくすのは不可能である。先に、私はハイエク保守主義者だと書いたけれど、その立場から言えば、人間が計画することに完全さを求めること自体が間違っている。もちろん、できうる限りのことを想定して、準備をすべきなのは当然である。しかし、想定以上の問題が生じる可能性が必ずあることは考えておかなければならない。
原子炉は、事故が起きて破壊されると、放射線によって原子炉を修復するために近寄ることができなくなる。つまり、最悪の事態が発生した時、本質的にコントロールが失われるという特性がある訳だ。その意味で、想定外の事態が生じたときの危険性は極めて大きい。
しかし、原子炉を廃炉にすることには大きなハードルがある。それは、地球温暖化問題である。
現状の技術で現実的に実用可能な自然再生エネルギーは、水力、風力、太陽光、地熱だろう。水力と地熱は日本国内に適地が限られているから、大幅に増やすことは難しい。また、風力と太陽光は絶対量の問題もあり、また、出力をコントロールできないという致命的な問題があるから、これを解決できる画期的な蓄電技術が開発されない限り主要な電源とはなりえない。
埋蔵されている資源量から考えれば石炭発電が最も現実的な選択である。しかし、石炭火力発電は発電量に対する二酸化炭素排出量が大きく、また、その他の大気汚染物質の問題もあり、石炭火力発電によって原子力発電を代替するのは現実的ではない。そう考えれば、二酸化炭素は排出するけれどもそのなかで最善の選択としてはLNG火力発電ということになる。おそらく、民間事業者としての電力会社の経営判断に任せれば、LNG火力発電の増設を選択することになるだろう。少なくとも、私が経営者であればそのような選択をするし、現実にもそのようになるはずだ。
当然、原子力発電所LNG火力発電で代替すれば、二酸化炭素の排出量は増加する。残念ながら原子力発電所の危険性を除き、かつ、地球温暖化問題に対応するための決定的な解決策はない。しかし、地震に対して安全な立地が考えられない日本において、原子力発電を継続するという選択肢は危険すぎる。
結局、セカンド・ベストの対策を組み合わせ、できるかぎりのことをするしかない。できうる限り節電をする。また、最大限自然再生エネルギーの導入を進める。ダムを浚渫し延命を図る。多目的ダムの水利権の調整をして水力発電量を増加させる。旧式の発電効率の低い石油、石炭火力発電所発電効率の高いLNG火力発電所にリプレースする。
これですべてが解決するという対策はない。しかし、やれることをやるしかない。少なくとも、原子力発電所を全廃し、地球温暖化問題を解決する夢のような対策があると考えるべきではない。限られた技術のなかで、厳しい選択をしながら最善の努力をすることが現実である。