昭和と平成、大政翼賛会と大連立

しばらく前のエントリー「菅直人小沢一郎鳩山由紀夫」(id:yagian:20110605:1307218940)で今回の政局について感想をかいた。また、政治に関する話を書こうと思う。
昭和初期と現代の類似性が指摘されることがある。
大恐慌金融危機から深刻な不況、停滞の長いトンネルに入って抜け出すことができない。若年層の失業率が高く、将来への希望が見えず、閉塞感に覆われている。大震災が起こり、大きな打撃を受けた。政党は政争に明け暮れてばかりいて、このような状態に対処することができず、国民の信頼を失い政党政治が崩壊しつつある。
昭和初期には、国家意志を統一することができなくなり、将来へのビジョンもなく、なしくずしに満州事変日中戦争、太平洋戦争に突入し、悲劇的な結末に至った。その原因としてよく指摘されるのは、明治憲法にある根本的な欠陥である。明治憲法では、軍の統帥権天皇に属し、国会や内閣には軍をコントロールする権限がない。日露戦争の時代までは、明治維新の功労者である元老が実権を持っており、彼らが統一された国家意志を形成して、政府と軍の行動を統合していた。しかし、元老が死んでしまうと、名目的には政府と軍を統合すべき天皇には実権がなく、軍や政党や官僚や財閥などの日本のさまざまなプレイヤーが自分の利益を追求するようになり、国家意志を失った日本は漂流するようになった。
政友会と民政党の対立も政策をめぐる対立というより、それぞれの政党に結びついた圧力団体、利害関係者の対立であり、権力と利権をめぐって政略に明け暮れていた。政党政治は国民からの支持を失い、一部の軍人は政党政治によって日本を立て直すことが難しいと考えるようになる。その結果、クーデターが発生し、政党政治は終焉を迎える。そして、政党政治とは無縁であった貴族出身の近衛文麿が国民の期待を集めて総理大臣となり、大政翼賛会が結成される。しかし、大政翼賛会は、国会議員への投票を通じて国民の意志を政策に反映させるという道を閉ざすもので、実質的な議会政治の否定である。結果的に言えば、近衛文麿は国民の期待に応えることができる人物ではなかった。彼は難局に立ち向かうことなく、責任を回避した。
一方、平成に入ってから、政治は混乱を続けている。しかし、この混乱は必ずしも否定的な側面だけではない。「菅直人小沢一郎鳩山由紀夫」(id:yagian:20110605:1307218940)に書いたように、この二十年間の政治は55年体制から脱却するためのプロセスで、民主党が政権につくことでそれがようやく完結したということができる。
55年体制は、自民党社会党が結託することで、自民党に結びつく大企業、中小企業、農民、社会党に結びつく労働組合既得権益を守る体制だった。政権交代が起きないという意味では大政翼賛会に近い体制だといえる。その時代は日本経済全体が成長していたから、配分に多少の不公正があっても、個々の国民の所得は増え続けていたから、このような体制は是認されていた。しかし、当然のことながら、このような体制は腐敗する。そして、小沢一郎55年体制を打破するために自民党を割ってから20年が経ち、ようやく政権交代が可能な、つまり、国民が国会議員の投票によって政策を選択ができる二大政党制が成立したはずだった。
私は実現可能性に疑問を持っているけれど、理念としてはマニフェストを掲げた二大政党が政策を切磋琢磨して競争するという形態は望ましいと思う。しかし、せっかく実現したはずの二大政党制は機能していない。昭和初期には明治憲法の欠陥、統帥権の独立という問題が顕在化した。昭和憲法には参議院の制度設計に欠陥があり、これが二大政党制の機能を阻害していると思う。
小沢一郎は、55年体制衆議院の中選挙制にあると考えた。そして、小選挙制に改正した。実際、政党の離合集散があり時間はかかったけれど、衆議院を中心として二大政党制に収斂してきた。その意味で、小沢一郎は目のつけどころがよかった。
しかし、問題は参議院にある。参議院小選挙区制と比例代表制の組み合わせになっている。だから、小選挙区制の部分は二大政党制に収斂するけれど、比例代表制の部分は少数政党が維持されることになる。参議院に少数政党の代表がいること自体は問題ではない。むしろ少数意見を国政に反映させるという意味で望ましいことである。問題は、参議院の任期と衆議院の優越が不十分なところにある。
衆議院参議院の選挙の時期は、基本的には一致しないから、その政党の議席の比率も一致しない。多くの政権では、政権を奪取するときには高い支持率を得るけれど、その後支持率が低下する傾向にある。衆議院で勝利して政権を取っても、その次の参議院では敗北するケースが多い。結果的に、衆議院では多数を持っているが、参議院では少数与党になるねじれ現象が常態化する。
衆議院参議院に対して十分な優位性を確保していればねじれ現象も大きな問題ではない。しかし、昭和憲法では、参議院が否決すれば法律が成立しない(正確に言えば、衆議院で2/3以上の賛成を得られれば参議院での議決を否定できるけれども)。このため、政権与党は衆議院だけで多数を確保することでは不十分である。結果として、衆議院では二大政党制が成立しても、参議院でキャスティングボードを握る少数政党が大きな影響力を持つことになり、衆議院選挙における国民の選択結果が歪められることになる。現在の国民新党社民党の存在がその象徴である。そして、政党の動向も政策を中心とした競争ではなく、政権を維持するための離合集散の政略に左右されることになる。
現在、大連立が話題になっている。私自身、現状の制度において現状の政策の停滞を打破するにはやむを得ないと思うけれど、根本的には大政翼賛会55年体制の再現につながる可能性があるという意味で反対である。国会議員への投票結果ではなく、政党間の協議によって政策が決定されることになる。与党としては野党に対して譲歩をすることになり、場合によっては野党案を丸呑みする場合もあるだろう。その場合には、むしろ少数派の政策が採用されることになる。しかし、仮に大連立になったとしても、連立内で政党間の協議は必要となるわけだから、必ずしもスムーズに法案が成立するとは限らない。
また、現職の国会議員には落選したくないという欲求がある。大連立が本当に時限的なものであれば、よいけれども、現状の議席を守るために「大政翼賛会」なる可能性もはらんでいると思う。その意味では危険性を感じる。
抜本的には衆議院参議院に対する優越を明確にし、両院の議決が矛盾した場合には、両院協議会での協議を経て、原則として衆議院の議決に従うことにすべきだろう。参議院は、すべての議席を選挙とするのではなく、専門家や少数派の代表を割り当ててもよいと思う。法案を発議する権限があるだけでも、参議院の存在意義は大きいと思う。
しかし、そのためには憲法改正が必要だが、その目処はない、というか、参議院改革の議論すら広がっていない。単純に投票に行こうというキャンペーンをしたところで、民意が政策決定に適切に影響を与える制度となっていなければ、投票に行くことだけを呼びかけても虚しいばかりである。