原子力開発と核武装

日本の原子力開発は核武装を目的としたものなのだろうか、ということを長年の疑問に思っていた。
実は日本は核武装を目指しているのではないか、という状況証拠はあり、実際に海外から疑惑の目で見られてきた。
日本の原子力開発は、高速増殖炉を中心とした核燃料サイクルを確立し、国産のエネルギーを確保するということを目標としてきた。そのためには、軽水炉の使用済燃料を再処理し、プルトニウムを抽出する必要がある。問題は、そのプルトニウムを抽出する技術、また、国内にプルトニウムを貯蔵していることが、核兵器の開発に容易に転用できるということである。
単に原子力発電をすることだけが目的ならば、海外の技術を導入し、軽水炉で発電をすればよい。また、仮に、核燃料サイクルを確立するとしても、使用済燃料の再処理は海外に委託することも可能で、実際に、フランスやイギリスに再処理を委託したこともあった。
しかし、日本は核燃料サイクルを構成するすべての技術を国産化することを目指して開発を進めてきた。これは、経済的な合理性だけでは説明できない。このことが海外の疑惑を招く原因となっている。
一方、被爆国としての日本では、自ら核武装すべきではないということは、広く国民に共有されたコンセンサスで、仮に、核武装をしようとする意図があったとしても、注意深く隠されてきた。また、日本は核拡散防止条約に積極的に協力してきたし、IAEAの査察も受け入れてきた。
最近、何回か引用している吉岡斉「原子力の社会史」を読むと、どこまで広く核武装をしようという目的が共有されているかわからないけれど、日本の原子力開発の重要なプレイヤーの一部にはそのような意図があったのではないかと考えるようになった。
戦後日本の核開発の契機となったのは、1954年の予算において、当時改進党に所属していた中曽根康弘のイニシアティブによって原子力予算が計上されたことだという。それまで、物理学者を中心として日本の原子力研究の再開が議論されていたけれども、現実的に再開することがリアリティを持って語られていた訳ではなかったようだ。そこに、政治主導で原子力開発が始まったのである。
その時の中曽根康弘の意図は明らかにされていないけれど、彼の政治信条を考えれば、将来的に日本が核武装をすることを想定していたのは間違いない。おそらく、原子力開発を推進する保守派の政治家には、そのような考えが共有されていたのだと思う。現在、石原慎太郎が日本も核武装すべきとの発言をしている。口に出しては言わないけれども、同じような政治信条を持った政治家は存在していたはずだ。
それでは、官僚はどこまで核武装を意識していたのだろうか。「原子力の社会史」によると、日本の原子力開発は、科学技術庁(現在、文部科学省)系統と通商産業省(現在、経済産業省)と電力会社の系統の二つの勢力があったという。科学技術庁系統が国産の技術開発を、通産省と電力会社が商業的な原子力利用を担当していた。
通産省と電力会社は、必ずしも国産技術へのこだわりがあった訳ではなく、アメリカの企業からのライセンス契約に基づいて原子力プラントを建設してきた。その意味では、通産省と電力会社には核武装との関係はないと見てよいだろう。
問題は科学技術庁である。先にも書いたように、核燃料サイクルのすべての技術の国産化を目指し、原子力船むつの開発などを進めていた。経済合理性という意味では、すべての技術を国産化するのはナンセンスだし、原子力船も軍艦としての利用以外に現実的な実用性は乏しいと思える。それだからこそ、海外からの疑惑の目を向けられた。
しかし、日本には技術ナショナリズムのような発想があり、原子力開発に限らず、特にかつてはすべての技術を国産化したいという指向があった。だから、核燃料サイクル技術の国産化がすぐに自らの核武装に直結する訳ではない。
ここから先は想像になる。中曽根康弘石原慎太郎のように自由民主党タカ派と呼ばれる国会議員は、おそらくは、核武装を想定して核燃料サイクル技術の国産化を支持していたのだと思う。科学技術庁の幹部は、その意向は知りつつ、彼らの原子力開発への支持を利用しながら、しかし、あくまでも平和利用のための原子力開発という建前を忠実に守っていたのではないだろうか。開発に携わった科学者、技術者は、潜在的な核兵器への転用の可能性は十分に理解しつつも、実際に日本で核兵器が開発されることはないと思いながら技術開発を進めていたのではないだろうか。
福島第一原子力発電所の事故が起き、膨大な被害を引き起こした現在となっては、原子力発電所に経済性があるとはとても言えないが、事故が起こる以前の状態で原子力発電の経済性を追求するならば、科学技術庁系統の核燃料サイクル技術の国産化は合理性に乏しく、通産省、電力会社による海外の技術を導入した軽水炉による原子力発電のみでよかったはずだ。結果的には、科学技術庁を中心として開発されてきた国産技術の大部分は通産省、電力会社が利用することはなかった。
原子力発電の経済的な優位性、化石燃料への転換による燃料費による電力料金の値上げが予想される。しかし、日本の原子力開発を総体としてみれば、潜在的な核武装への可能性を確保するための投資としての国産技術の開発に投じられた国費を考えれば、原子力発電が経済性あるとはとても言えないだろう。

原子力の社会史―その日本的展開 (朝日選書)

原子力の社会史―その日本的展開 (朝日選書)