De la Democratie en Japon(日本のデモクラシー)(3) 上滑りの民主化

3.11をきっかけにして日本の民主主義について考えている。このエントリーは、アメリカに旅行しながらトクヴィルの「アメリカのデモクラシー」を読みながら考えた以下の二つのエントリーの続編である。もし、時間があったら目を通して欲しい(少々長いけれど)。

また、以下のエントリーも日本の民主主義について書いたエントリーで、このエントリーとも関係が深い。今日のエントリーを読んで興味を持っていただければ、読んで欲しいと思う。

  • 「上滑りの開化」 (id:yagian:20110810:1312926462)
  • 「個人の自立と民主主義」 (id:yagian:20110714:1310594619
  • 「日本は民主主義国家なのか」 (id:yagian:20110628:1309230821)
  • " Is Japan Really a Democratic Country?" (http://goo.gl/zwqie)

さて、前回のエントリーでは、アメリカの民主制の背後には、それをささえる特異な理念が国民に共有されているということを書いた。その理念は、トクヴィルがアメリカを観察した建国まもない時期から現在まで受け継がれている。
一方、夏目漱石が指摘したように、日本の近代化は内発的なものではなく、外発的な「上滑り」したもので、しかし、それを止める訳にはいかないという宿命を負っている。戦前の日本は「上滑り」の帰結として太平洋戦争の敗戦に至った。しかし、戦後の日本も「上滑り」自体は変りなく、3.11も「上滑り」の帰結ではないかと思う。
明治の歴史を振り返ると、日本の民主制ははじめから「上滑り」をしていたと思う。自由民権運動を日本の民主主義の原点として位置づける人もいるけれど、かなり「上滑り」していたものだと思う(無意味だったとは言わないけれど)。
自由民権運動の主な担い手は、新政府から排除された士族と地主層である。士族たちは、ごく近い過去に、朱子学を基礎とした封建制の支配層であった。その彼らが外来の民主主義の思想を内面化していたとは思えない。結局、自らも政権に参加させることを主張するために「自由民権」の思想を利用していただけではないかと思う。実際、自由民権運動に参加した士族が、本来的な意味で日本の国民全体の「自由」や「民権」の実現を考えていたとは思えない。
むしろ地主層の方が、新しい日本のあり様を真剣に模索していたのではないかと思っている。島崎藤村の「夜明け前」を読むと、庄屋である主人公(島崎藤村の父がモデル)は、宿場町の将来を憂いて平田派の国学の運動に身を投じる。結局、彼の望みは新政府によって裏切られて挫折してしまうけれど、同じように自由民権運動に参加した地主層は自らの村の将来を真剣に憂いていたと思う。しかし、その「憂い」もパターナリズム的なものであって、小作人と真の意味で平等になるとは考えていなかったのだろう。
戦後、アメリカ軍を中心とした進駐軍が主導して日本の再民主化が進められたが、日本国憲法を始めとして、思いのほかアメリカの制度の直輸入された訳ではない(日本国憲法のドラフトが進駐軍によって作成されたといいながらも、アメリカ合衆国憲法の引き写しではない)。しかし、部分的には直輸入され、日本的に変質していった制度もある。その代表例が教育委員会だと思う。
トクヴィルによると、アメリカでは自立した個人が基礎となり、個人だけでは実現できない公共的な目的のために限定的に権限をタウンに移譲し、タウンだけでは実現できない目的のために権限を州に移譲し、州だけでは実現できない目的のために権限を連邦に委譲しているという。個人を基礎としてとなっているボトムアップで国家が形成されている(トクヴィルと同様に、このアメリカ的な国のあり方が唯一のものとも、理想的なものとも考えないが)。
タウンの権限はその目的に応じて限定するために、権限に応じて役職者をタウンの住民の選挙で選ぶ。例えば、タウンの検察官(シェリフ)は選挙で選ばれる。それと同様に、教育委員会の委員長も同様である。それぞれ直接選挙で選ばれる役職者は、選挙で選ばれたという正統性があるから、その権限の範囲内においては他の役職者、例えば、町長の指示を受けることはない。トクヴィルも指摘しているが、このようなやり方によって、行政の統一性が失われてしまう。しかし、アメリカでは、そのデメリットよりも特定の個人、集団に権限が集中することを嫌ったということである。
アメリカのデモクラシーは、国民がアメリカの理念を共有していることが基礎になっているし、また、誰もが成功しうるという「アメリカンドリーム」も教育が普及していることが前提となっているから、教育には力が入れられている(はず)である。しかし、連邦には文部省、教育省にあたる官庁はない。重要な事柄であるゆえに、連邦に任せることはできないと考え、タウンにおいて公選制の教育委員長に教育行政が委ねられている。連邦全体から見れば、タウンによって教育の内容、質に関して大きな差がでてしまう(例えば、創造説に基づく教育を行うタウンがあるなど)が、しかし、連邦に教育を委ねることの抵抗の方がはるかに大きいということだろう。
戦後、日本の市町村にも教育委員会という制度が導入され、占領期には教育委員長は公選制だったが、独立後に公選制は取りやめとなり、教育委員会という名称、組織は残ったけれども、実質的には市町村役場の教育担当の一部署となった。アメリカにおける教育委員会の背景を無視して移植しても定着しなかったのは当然で、まさに「上滑り」の事例である(私個人としては、教育委員会の公選制には無理があるけれど、一方で、文部科学省が全国統一のカリキュラムを定める必要性があるのか大いに疑問を持っている)。
裁判員制度にも同じような上滑りを感じている。最高裁判所のウェブサイト(http://goo.gl/Kld12)には、裁判員制度の目的として以下のような理由が示されている。

国民のみなさんが刑事裁判に参加することにより,裁判が身近で分かりやすいものとなり,司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待されています。

しかし、本来、陪審制はこのような目的で行われているものではないと思う。アメリカの場合、司法であっても特定の集団に権限を委譲することを嫌っている。しかし、司法は専門性が高いから専門家集団が必要である。このため、司法の専門家集団の存在を認めつつも、一般市民が裁判に参加し、専門家集団の権限を制約することが目的だと思う。
実際、専門家の裁判官による判決と、陪審員による判決とどちらが公正か議論の余地は大いにあると思う。しかし、そうであっても裁判を専門家だけに委ねるべきではないという意志が陪審制の背後にある。決して「裁判が身近」「司法に対する…信頼の向上」にすることが目的ではない。むしろ司法にすべてを委ねることを信頼していないからこそ、陪審制がある。だから、刑事裁判に限らず、民事裁判にも陪審制が導入されている。
もちろん、裁判員制度の目的が、アメリカの陪審制とちがっていることが問題だという訳ではない。むしろ、民主制に対する国民の考え方が違っている以上、同じような目的で導入すれば教育委員会のように形骸化することになる。とはいえ、最高裁判所が示す裁判員制度の目的に日本の国民に共感を持っているとは考えにくい。個人的には裁判員制度も形骸化、そして、廃止されるのではないかと考えている。
まだまだ書きたいことがあるが、思いの外長くなってしまったので、今日はここまでにしたい。

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夜明け前 全4冊 (岩波文庫)

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漱石文明論集 (岩波文庫)

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