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日本の英語教育の成果

日本人のTOEFLの成績が他のアジア諸国に比べ低迷しているというデータがあり、日本の公教育における英語教育に対する批判がある(もっとも、これは英語に限らず、その他の教科も同様かもしれないが)。

実際、公教育における英語教育だけで実用的なレベルの英語運用能力を習得することは難しいと思う。だからといって、日本の公教育の英語教育が致命的な問題を抱えているかどうかは判断できないと思う。そもそも、私自身の公教育に対する期待度が低いので、英語に限らず公教育だけで実用的な能力を身につけることは難しいし、それはやむを得ないと思っている。児童、生徒の学習に割ける時間は限られているし、教えるべき内容は多い。実用的な能力まで高めるには、公教育を自己学習によって補う必要がある。公教育の役割として、その自己学習ができる基礎を提供できれば、まずは最低限の目標を達成したと言えると思う。さらに言えば、日本人が必要とする、また、求める英語の運用能力のレベルは多様だから、標準的、共通的である公教育があまりにも高い目標を掲げることができないだろう。

最近、英語のウェブログ "A Daily Life in Uptown Tokyo" (http://goo.gl/J3DhM) を書いている。書き始めて9か月ほどになるが、最近では、この日本語のウェブログで書いているレベルの内容を表現することは概ねできるようになったと思うし、ウェブログへの反応を見てみるとその内容は理解してもらっているようである。

この英語のウェブログのなかでは、おそらく高校で教えられている以上の文法は使っていない(私が高校で英語の教育を受けたのは30年近く前だから今の高校での英語教育のレベルはわからないけれど)。もちろん、高校卒業時点でこの内容のウェブログを書こうと思っても難しかったと思う。それ以降の大学や自主的な学習、実際の英語の運用経験によって英語の能力は向上しているけれど、表現するという意味では基礎的なレベルの知識の習得は高校時代にできたと思っている。

公教育の中の英語の授業時間だけでは、十分な英語の能力を習得するだけの英語の運用経験を得ることはできない。時間数も足りないし、語学の教育としてはクラスの人数が多すぎるし、ネイティブのTAの数も足りない。私自身、高校までは実用的な目的で英語を使ったことはほとんどなかったし、英語でコミュニケーションをしたこともなかった。これでは、実用的に英語が使えるようにはならない。しかし、そこまでが公教育としての英語教育が保証すべきレベルかといえば疑問である。実際、高校卒業レベルの英語教育の内容を大多数の児童、生徒が習得できると言えるのだろうか。そんなことはないと思う。そうであれば、これ以上英語教育のレベルを高めるためには、他の教科の時間を減らす必要があるが、そのバランスについてはよくわからないけれど、むやみに英語教育の時間を増やすことへの副作用はあるのではないだろうか。

私自身、実際に英語を利用する必要に迫られたのは、大学に入り、文化人類学という学問を専攻するようになってからである。文化人類学は日本では率直に言って未成熟で研究者も少なく、日本語の文献だけでは卒業論文すら書けないため、それなりの英語の文献を読むことに迫られた。最初は読むスピードも遅く、これで卒業論文が間にあうのだろうかと心配になったけれど、読むに連れてスピードも早くなり、結局はどうにか間にあった。英語の実用的な読解力を習得するには、まとまった量の文献を読むという経験が必要だが、その最初の機会が大学時代にあった。指導教官からはそんなのも読めないの、とかさんざんに言われたけれど、結果から見れば、必要に迫られたときにそれをこなすだけの英語の(もちろん、十分とは言えないけれど、最低限の)基礎的な能力は高校時代に培われていたといえると思う。

その後、社会人になってから、海外の文献を読んだり、また、最近ではインターネットで情報を海外の政府や国際機関が公表した文書を読む必要がある。また、最近ではそのような仕事から離れてしまったけれど、海外に出張してインタビューをしてくることもあった(相手は英語のネイティブスピーカーではない場合が多かった)し、海外へ発注した仕事の管理のために担当者と英語のメールですることもあった。そのたびに必要に迫られて、なんとか仕事をこなすことができたし、そのなかで、自分の英語力も向上したと思う。

最近では、楽しみながら英語を勉強している。通勤の時にiPodESL Podcast (http://goo.gl/Qih6) や英語のニュースを聴いている。また、Lang-8 (http://goo.gl/fuyN) で英作文を添削してもらい、また、上にも書いたけれどもウェブログに投稿しているし、TwitterFacebookにはなるべく英語で投稿するようにしている。少なくとも作文能力は向上していると思う。

ただし、一つ英語教育で残念に思うことは発音である。大学で中国語のクラスを取った。中国語には日本語にない発音が多いから、発音の習得が難しいと言われているからか、発音の練習には初期の段階でかなりの時間を割いた(退屈だったけど)。中国語は初級者だけれども、おそらく英語よりは発音だけはよいようだ。中国語を話して通じなかったことはない。しかし、英語では"R"と"L"の区別もできないし、聴きづらそうな顔をされることがよくある。中学で最初に英語を学ぶときに、正確な発音をしっかりと習得したかった。英語の会話に慣れることはできるけれど、固まってしまった発音を矯正するのは難しい。

小学校での英語教育の是非について議論があるが、私は、どちらでもいいと思う。結局、外国語を習得するには、どこかで集中的にその言葉に浸る必要があるし、公教育だけではそれを実現することはできない。スタートの時期が多少違っていても大きな差はないと思う。ただ、最初の時に、発音だけはしっかりと指導して欲しい、それだけが注文である。