アラブの春、ロシアの春:民主主義の実験室

昨年、チュニジアに端を発したアラブ諸国の独裁政権への抵抗運動、下院議員選挙での不正の暴露をきっかけにしたロシアの反プーチンのデモなど1960年代後半の世界的な学生運動の広がりを思い起こさせるような民主化への活動が国際的に拡大している。
チュニジア、エジプト、リビア、イエメンで長期間政権を維持してきた大統領が放逐され、シリアでは反政府活動が続いている。
アラブ諸国やロシアについて、詳しいわけではないから、これから書くことは憶測まじりで、誤りも多いと思う。訂正、ご示唆をいただければ助かります。
チュニジアのベン=アリ大統領、エジプトのムバラク大統領は、必ずしも不正な方法で大統領に就任した訳ではなく、政権に正統性がないとは言えないだろう。しかし、長期間に渡って政権を維持する上で強権的な政治手法を使っていたことは間違いない。また、近代的な世俗的な政治体制を維持することを目指し、イスラム主義の政党を抑圧していたことが共通している。また、失脚した原因として、市民のデモを見た軍部に離反されたところも共通している。
リビアカダフィ大佐、イエメンのサーレハ大統領は、典型的なアラブの独裁者であり、軍事力によって政権を奪取、確立して、そのまま独裁体制を敷いている。政治的な立場としてはイスラム主義ではないけれども、近代的な政治体制を目指していたわけではない。いずれの政権も部族連合の性格が色濃く、有力な部族が離反したことが失脚の大きな原因となった。特にリビアではNATOによる反政府勢力への支援がカダフィ大佐の打倒に結びついた。
シリアの場合、チュニジアやエジプトに近い「市民」による反政府運動なのだと思う。ただし、アサド大統領が軍も含めて政権を掌握しているために権力を維持している。また、アサド大統領が正規軍を掌握しているところに、リビアのように直接的な軍事力の行使をすると、国家間の戦争に拡大する可能性が高いという意味で、介入も難しいのだろう。その意味で、チュニジア、エジプト、リビアのように事態が収束するにはまだ時間がかかるかもしれない。
さて、チュニジアとエジプト、リビアとイエメンでは民主主義が成立するのだろうか。
アフガニスタンの現状は、さまざまな部族が合従連衡しながら抗争を続けており、さながら日本の戦国時代のようである。海外の軍事力の支援によって「中央政府」が存続しているが、その中央政府は腐敗しており、全国的な支持は得られていない。海外の軍事力が撤退すればその存続は難しいだろう。戦国時代の朝廷や末期の足利幕府が、ポルトガルの支援を得て畿内をなんとか支配している、という状況を想定すればいいだろう。
リビアとイエメンは、部族の連合政府という意味でアフガニスタンに近く、強力な独裁者による高圧的な統一が崩壊した後、明治維新の日本のように国民国家の形成に向かうことができるのか、それとも戦国時代に逆戻りするのだろうか。ぜひ、リビアやイエメンの専門家に、彼の国での国民意識国家主義の成熟度について知りたいと思う。日本の歴史を見ると、民主主義に移行する前に、国民国家が成立する時期が必要だった。独裁者の排除の後、一足飛びに民主主義国家になるのは難しいのではないだろうか。民主主義の基礎となる国民国家の成立、その後の憲法制定とその定着があって、次のステップに進めると思う。国際社会としてどのようにその支援ができるのかよくわからない。
一方、チュニジアとエジプトでは、近代的な国民意識はすでにあり、国民国家として成立していると思う。ただし、一方で、民主主義の基礎となる理念、哲学が国民に共有されているかが大きなポイントとなるだろう。ルソーは、一般意志と特殊意志を区別した。特殊意志は個人、集団固有の利害を意味し、一般意志は特殊意志を超えた国民全体に共有された利害、意志を指している。現実には、一般意志が成立している完全に成立している訳ではないけれども、ある程度は国民や政治家に一般意志が共有されていることが民主主義が成立する前提条件になる。
例えば、選挙で選ばれる議会が特殊意志の調整以上の機能がないとしたら、少数派はその議会を通じた民主主義に参加する意志を持たないだろう。地域的に利害集団が存在していれば分離独立を目指すだろうし、そうでなければ暴力的な政権の打倒を目指そうとするだろう。建前だとしても、政権を得た政党、指導者は、国全体の意志を代表していることを宣言し、そのための政治を行う必要がある。
ムバラクはエジプトの近代化、政治の世俗化を目指したサダト大統領の後継者である。彼らの時代には、世俗政治による近代化がアラブ社会の知識人のなかで共有されていた。しかし、現代では、自由選挙を行えばイスラムに基づく政治を指向している勢力が過半数を占める。イスラムと民主主義が調和した政治制度とそれを支える理念、哲学の共有ができるだろうか。そこに民主化の鍵があると思うけれど、これもなかなかハードルが高いと思う。
一方、ロシアの春を見ていると、最初に書いた1960年代の学生運動の高まりを思い出す。日本では、自由民主党が過半数を占められており、政権を独占していた。野党である社会党共産党公明党民社党には政権を担当する能力も意欲もないと見られていた。学生運動、政府に対する批判が高まり、社会党共産党もその運動に介入したけれども、結局は既存の政党はその勢力を糾合することができず、自民党の長期政権が続いた。首相が交代し、公正な選挙は行われていたから、独裁とは見られていないけれど、実態として民主主義が機能していたかは疑問である。
ロシアの場合、強権的な統一ロシアが政権を握り、知識人、学生はそれに対して不満を持っている。しかし、第二党は共産党で、政権を担う能力があるとは思えない。また、知識人、学生層の支持を集める政党は見当たらない。小沢一郎自民党を割ってから政権交代が定着するまでに10年かかり、まだ十分定着しているとは言えない。
そのアナロジーで考えると、プーチンへの不満が高まっても、岸信介がデモ隊で囲まれた首相官邸で「声なき声が聞こえる」と語ったように、すぐに統一ロシアの支配が崩れるとは考えにくい。あるとすれば、メドベージェフがロシアの小沢一郎として統一ロシアを分裂させた時がロシアの民主化のチャンスだと思う。彼にその意志があるのだろうか。