「坂本龍馬」の虚像と実像

先日、Facebookで会社の知り合いが紹介していたウェブ上のコラム「これからの未来:現代の黒船の到来、あなたは坂本龍馬に憧れますか? --- 谷本 貫造」(http://goo.gl/f4UWJ)を読んでいて、内容にまったく無関係の坂本龍馬が引合に出されていて、これだから「龍馬」ファンってうざいなと思った。
例によって例のごとく、司馬遼太郎坂本龍馬の悪口を散々書いて「龍馬」ファンに嫌われて憂さを晴らそうかなと思ったけれど、冷静に考えてみれば別に坂本龍馬が嫌いだ、という訳ではないのであった。
また、司馬遼太郎の「小説」は「早わかり日本歴史」以上でも以下でもなく「歴史小説」として読む気が湧かないのは事実だけれども、別に司馬遼太郎本人が嫌いという訳でもなかった。「司馬史観」とかいう人の気は知れないが、あれだけ小説が売れ、もてはやされているとろころ見ると、「歴史小説」よりは「早わかり日本歴史」の方が需要があって、司馬遼太郎はその名手であり、私もごく若い頃にはお世話になったなと遠い目で思うだけである。
竜馬がゆく」は司馬遼太郎の小説の中でも、ことにエンターテイメント性が強い作品だと思う。この小説の主人公と歴史上の人物である坂本龍馬を混同している人を見ていると、自分も気づかずにうっかり同じことをしているのかもしれないと反面教師(この言葉を作ったのは毛沢東らしい)として気をつけようと思うことにしている。
とはいえ、坂本龍馬の実像に近づく方法がないわけではない。坂本龍馬の書簡が残されていて、講談社学術文庫から出版されている「龍馬の手紙」や「青空文庫」(http://goo.gl/JPtZJ)でも読むことができる(私は「青空文庫」で読んだ)。
志士宛の手紙は研究者にとっての価値は高いのだろうけれど、素人にとって読み物としておもしろいのは、龍馬の姉、乙女宛の手紙である。龍馬と乙女はほんとうに心を許しあっていたのだろうと思われる率直な内容で、これを読むと龍馬という人は大法螺吹きで抜け目ないけれども、面倒見がよく憎めない人好きのする親分肌の青年という印象を受ける。幕末という血なまぐさい時代を青春として満喫している。もちろん、逆境もあり、最後には暗殺されてしまう訳だが、投獄され拷問されるとか処刑されるという経験はないからか、時代の暗さ、陰惨さに比して明るさがあり、そこに心惹かれる人もいるということは理解できるし、だからこそ司馬遼太郎が青春小説の主人公として選んだのだろう。かといって、私自身は心酔はしないけれど。
いくつか彼の手紙を引用してみたいと思う。

此頃ハ天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり、ことの外かはいがられ候て、先きやくぶん(客分)のよふなものになり申候。…けいこ船の蒸気船をもつて近々のうち、土佐の方へも参り申候。そのせつ御見にかゝり可申候。…
(文久三年五月十七日 坂本乙女あて)

初々しくも素朴だと思う。土佐を出て、勝海舟と出会うことで広い世界につながった実感と、蒸気船に土佐へ帰るということで変わった自分を郷里の人に見せたいという気持ちがよくわかる。

…然二誠になげくべきことハながと(長門)の国に軍(いくさ)初り、後月より六度の戦に日本甚利すくなく、あきれはてたる事ハ、其長州でたゝかいたる船を江戸でしふく(修復)いたし又長州でたゝかい申し候。是皆姦吏の夷人と内通いたし候もの二て候。…同志をつのり、朝廷より先ヅ神州をたもつの大本をたて、夫より[はたもと大名其余段々]と心を合セ、右申所の姦吏を一事に軍いたし打殺、日本を今一度せんたくいたし申候事二いたすべくとの神願二て候。…かふ申してもけしてヽつけあがりハせず、ますますすみあふて、どろの中のすゞめがいのよふに、常につちをはなのさきゑつけ、すなをあたまへかぶりおり申候。御安心なされかし。
(文久三年六月二十九日 坂本乙女あて)

前の手紙とのあいだは一月程だけれども、急速に過激化している。この月に、長州が外国船を砲撃したが、そこで損傷した外国船を江戸で修理することを斡旋した「姦吏」がおり、修理された外国船が長州の戦闘に参加していることに憤っている。
朝廷を大本と言っているから尊王思想は入っているけれど、旗本、大名と心を合わせといっているから、倒幕派という訳ではなく、この時点では幕府内の「姦吏」を除こうと考えているようだ。勝海舟の弟子の時代だから当然ではあるけれど。
手紙の最後に雀貝のように泥の中に潜り、砂をかぶっているから心配しないようにと書いているけれど、乙女としては急速に変わっていく龍馬を見てさぞや気を揉んでいたと思う。こういうふうに、幕末の志士たちは一気に変わっていったのだということが実感としてわかる。

…先年初て「アメリカ」ヘルリ」が江戸二来たりし頃ハ、…朝廷おうれい(憂い)候ものハ殺され、島ながし二あふ所に、其西郷ハ島流の上二其地二てろふ(牢)二入てありしよし、近頃鹿児島にイギリスが来て戦がありてより国中一同、彼西郷吉之助を恋しがり候て、とふヽ引出し今ハ政をあづかり、国の進退此人にあらざれバ一日もならぬよふなりたり。
(慶応二年十二月四日 坂本乙女あて)

この手紙は、寺田屋事件の後、お龍と薩摩に療養した時のことを書いたものだが、そのなかで西郷隆盛について紹介している。これに限らず、乙女あての手紙にもさまざま時事的な内容の情報が書かれていて驚く。手紙を受け取った坂本家ではどこまで理解していたのかわからないけれど、この時代においてマスメディアはなかったとしても、情報はかなり広範囲に交換されていたのだと思う(インターネットおろか新聞もない時代から革命、政変は起こっていた訳だから)。

…ふと四方を見渡たして思ふ二、扨々世の中と云ものハかきがら(牡蠣殻)計である。人間と云ものハ世の中のかきがらの中二すんでおるものであるわい、おかしヽ。めで度かし。
(慶応三年四月初旬)

乙女あてにこんな所感を送っている。周りの人が「牡蠣殻」に閉じこもっているように見えるという孤独感は、ちょっとわかるような気がする。

竜馬がゆく (新装版) 文庫 全8巻 完結セット (文春文庫)

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龍馬の手紙 (講談社学術文庫)

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