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一見は百聞に如かず(続):石原莞爾「世界最終戦論・戦争史大観」

雑感 読書

「一見は百聞に如かず:石原莞爾「世界最終戦論」」(id:yagian:20120225:1330169639)で、石原莞爾の主張が意外とまともであることについて書いた。今日は、具体的に引用をしてみようと思う。

 統制は各兵、各部隊に明確なる任務を与え、かつその自由活動を容易かつ可能ならしむるため無益の混乱を避けるため必要最小限の制限を与うる事である。即ち専制と自由を綜合開顕した高度の指導精神であらねばならぬ。
 近時のいわゆる統制は専制への後退ではないか。何か暴力的に画一的に命令する事が統制と心得ている人も少なくないようである。衆が迷っており、かつ事急で理解を与える余裕がない場合には躊躇なく強制的に命令せねばならない。それ以外の場合は指導者は常に衆心の向かうところを察し、大勢を達観して方針を確立して大衆に明確な目標を与え、それを理解感激せしめた上に各自の任務を明確にし、その任務達成のためには広範な自由裁量が許され、感激して自主的に活動せしめねばならない。恐れ戦き、遅疑、躊躇逡巡し、消極的となり間隙を失うならば自由主義に劣る結果となる。

石原莞爾の時代は、ファシズムコミュニズムが興隆して、自由主義への疑問が高まっていたから、統制主義を主張しているけれど、明確に専制と統制は違うと言っている。
私はハイエク主義で自由経済、民主主義を信奉しているけれど、市場の中に企業が存在していることは否定しないし、企業は組織である以上、自由主義的ではなく統制主義的に運営されることも否定しない。
石原莞爾の「統制主義」を国全体ではなく、企業のマネジメントに当てはめたとしたら、現代の経営学者で彼のいう「統制」を否定する人はいないと思うぐらい常識的なマネジメント論を主張していると思う。

 殊に隊内に私的制裁の行われているのは遺憾に堪えない。

彼の考える「統制」に基づけば、当然、私的制裁がはびこっている当時の日本軍の内実は「遺憾に堪えない」だろう。日本軍の私的制裁のひどさについては、その被害者からの戦後の告発はよく目にするけれど、戦前において指導者側から私的制裁を批判する文章をはじめて目にした。
その結果、次のような主張に繋がる。

…官憲の大縮小である。統制国家に於いてはもちろん官の強力を必要とする。しかし強力は必ずしも範囲の拡大でない。必要欠くべからざる事を確実迅速に決定して、各機関をして喜び進んで実行せしむる事が肝要である。今日の如くあらゆる場面を総て官憲の力で統制しようとするのは統制の本則に合しないのみならず、我が国民性に適合しない。

石原莞爾は、決戦兵器開発のための「発明」を重視するが、これは特に自由を要する分野と考えていた。

…一体統制主義の今日、国家の恩賞を主として官吏方面に偏重するのは良くない。恩賞は今日の国家の実情に合する如く根本的に改革せねばならぬ。信賞必罰は興隆国家の特徴である。
 発明は単に日本国内、東亜の範囲に限る事なくなるべく全世界に天才を求めなければならぬ。

そう、日本の「ものづくり」などという主張はしていない。発明は「全世界に天才を求めなければならぬ。」
また、石原莞爾は「世界最終戦争」は、アメリカを中心とする国家グループと日満漢を中心とする「東亜連合」の間で争われると考えており、東アジアの共同体を作ることが重要だと考えていた。しかし、現実はそれとかけ離れていることは十分認識していた。

…若し我が軍が少なくとも北清事変当時だけの道義を守っていたならば、今日既に蒋介石は我が戦力に屈服したいたではないだろうか。蒋介石抵抗の根柢は、一部日本人の非道義に依支那大衆の敵愾心を煽った点にある。

日本歴史を見れば日本民族は必ずしも常に同義的でなかった事が明らかである。国体が不明徴となった時代の日本人は西洋人にも優る覇道の実行者となった。

国家主義の時代から国家連合の時代を迎えた今日、民族問題は世界の大問題であり、日本民族も明治以来朝鮮、台湾、満洲国に於いて他民族との協同に於いて殆ど例外なく失敗して来たった事を深く考え、皇道に基づき正しき道義感を確立せねばならぬ。…満州国内に於ける民族協和運動は今日まで遺憾ながらまだ成功してはいない。…

また、太平洋戦争の見通しについても次のように書いている。

 三年後には日米海軍の差が甚だしくなるから、今のうちに米国をやっつけると言う者があるが、米国に充分な力がないのにおめおめ我が海軍と決戦を交うると考うるのか。また戦争が三年以内に終わると信ずるのか。日米開戦となったならば極めて長期の戦争を予期せねばならぬ。米国は更に建艦速度を増し、所望の実力が出来上がるまでは決戦を避けるだろう。自分に都合のよいように理屈をつける事は危険千万である。

今の目から日中戦争と太平洋戦争を振り返ると、戦争目的も不明で、かつ、勝算も出口戦略もなかったように見える。それを戦争の専門家である軍人が推進したということは不可解に思える。石原莞爾の主張を読むと、当時の日本軍の指導者の目からも、日中戦争と太平洋戦争の行き先を充分見通すことが可能だったことがわかる。
石原莞爾は主義としては天皇、皇道、八紘一宇統制経済を主張している。しかし、主義とは別に、客観的な現実認識が可能だということがわかる。
結局、石原莞爾は退役に追い込まれ、憲兵に監視されることになるが、確かに、現政権にとっては共産党よりも危険な存在だったのかもしれない。現実的であることが「危険」な存在となってしまうという現象は、現代の日本でもいやというほど見ている。
大切なところは何も変わっていない。

最終戦争論 (中公文庫BIBLIO20世紀)

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戦争史大観 (中公文庫BIBLIO)

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