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今も昔も

太平洋戦争で日本が無差別爆撃された理由を知りたくてAmazonから何冊か本を取り寄せた。そのうちの一冊のジョン・ダワー「容赦なき戦争」を読み終わった。正直に言って、重い気持ちになった。
この本で、ジョン・ダワーは太平洋戦争を「人種差別」という観点から分析しているが、いくつか興味深い指摘があった。
日米両国ともに相手の国を貶めるために人種差別的なプロパガンダをしていた。その時、それぞれの国が自国に対して持っている肯定的なセルフイメージが、そのまま相手の国を貶めるために活用された。
例えば、日本政府は、国民に対して「一億火の玉だ」のスローガンに代表されるように天皇を中心として団結した大きな家族であるというイメージを強調していた。しかし、アメリカは、その日本のセルフイメージを個人、個性を否定した専制的な国として否定的なプロパガンダに利用した。日本は老いた鬼である米英に対抗する若くて活力のある「桃太郎」に自らの国を比した。一方、アメリカは成熟した国、国民に対し、日本を未成熟な国としてとらえていた。フランク・キャプラ反日プロパガンダ映画を作るにあたって、日本のニュースや映画の映像を最大限に利用し、日本の肯定的なセルフイメージを反日メッセージに転換させてみせた。
また、アメリカの自由、個人主義といった価値観を、日本は堕落した自己利益の追求という形で批判的なプロパガンダに利用した。
また、敵に対する人種差別的プロパガンダがその中間にいる民族に対してアンビバレントな側面を持つことがあった。アメリカは日本人に対して「黄色い猿」としてのレッテルを貼り付ける。しかし、中国とは友好関係を維持する必要があり、日本人に対する「黄色人種」を差別するプロパガンダが対中関係に悪影響を与えないか配慮する必要があった。
一方、日本はアメリカなどの西洋社会における人種差別を厳しく批判し、アジアに対しては西洋の支配からの解放者として振舞った。しかし、大東亜共栄圏五族協和という構想は、そのなかで各民族が平等な地位を獲得するということを意味しておらず、「大和民族」が指導的な地位を占めその他の民族は「其の所」を得ることを意味していた。
ジョン・ダワーによれば、このような大々的なプロパガンダが戦争を「容赦なきもの」とし、残虐さを増すことになったと指摘している。
しかし、きわめて皮肉なことに、日米両国の敵国に対するステレオタイプが平和的な日米関係の構築に役立ったという。日本のそれぞれの民族が「其の所」を得るという概念は、アメリカを父親とし日本が庇護される子どもとする従属関係を肯定することになった。また、日本を幼いとするアメリカの概念は、マッカーサーに代表される戦後の日本に対する父権的な保護に結びついた。
また、太平洋戦争の初期の日本軍の成功によって、アメリカは日本に対して「劣った猿」から神秘的な「超人」というイメージを持つようになった。これは、バブルの時代の日本の経済的な成功に対するアメリカ(そして日本自身)の過大評価として蘇った。
そしてなにより、日本は異質、特異であるという信念は、日本、アメリカを通じて、そして、戦前から現代に至るまで一貫して持続しているように見える。例えば、「日本はものづくりに優れている」という根拠がない言説が未だに流布しているが、日本自らが日本異質論に縛られていると思う。
「容赦なき戦争」を読んでいると、結局、戦前から現代に至るまで日米の底流に流れているものは何も変わっていないのではないかという暗い気持ちになる。

容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別 (平凡社ライブラリー)

容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別 (平凡社ライブラリー)