竹森俊平「国策民営の罠」

竹森俊平「国策民営の罠」を読んだ。
竹森俊平は「世界デフレは三度来る」を読んで以来(id:yagian:20080917:1221647196)、まっとうな学者だなと思い、基本的には信頼している。この「国策民営の罠」は、福島第一原子力発電所の事故に際して、なぜこのような事態に立ち至ったのか、原子力関係については専門家ではない竹森俊平が経済史家としての観点から考察した本である。現段階では、研究としては未成熟だから学術書や論文という形式を取っておらず、仮説の提示という段階ではあるけれど、内容については概ね同意できる。
この福島第一原子力発電所の事故の問題に対して竹森俊平が取ったアプローチは、経済史家の研究を通じて身につけた常識と公開されている関係者自身の発言、著作を丹念に追いかけるという方法である。
この方法には強く共感する。もちろん、新しく一次情報を発掘するということは、特にジャーナリズムにとって重要なことではある。しかし、一市民としては、取材活動ができるわけではなく、あくまでも公開情報を見ることしかできない。しかし、常識と公開情報でもかなりなことがわかるとも思っている。以前、新聞に引用されている斑目委員長の発言について疑問を感じ、公開されている議事録を追いかけて彼の真意を探ったことがある(id:yagian:20111218:1324214291)。インターネットの普及と情報公開が進展している現代においては、その気になればマスコミの報道も含めて怪しげな情報に惑わされることなく、問題の核心にたどり着くことができる。それを竹森俊平のようなきちんとトレーニングを受けた学者がやれば、もっと先まで行ける。その意味で、竹森俊平と政治学者の御厨貴(id:yagian:20050917:p2)の評論は信頼できると思っている。
「国策民営の罠」では、東京電力原子力発電への投資を可能にした条件と、リーマン・ショックにおけるファニーメイ、フレディーマックの類似性があったという指摘から出発している。福島第一原子力発電所の事故への対策、賠償によって、東京電力は事実上債務超過状態になった。本来、それだけのリスクを負っているのであれば、東京電力資金調達コストは高くなる(具体的には社債の利回りが高くなる)はずだから、それを反映した範囲内でしか原子力発電所への投資ができなくなる。しかし、現実の東京電力社債の利回りは国債並みだったのだが、これは「原子力損害賠償法」によって原子力発電所の事故の際の損害賠償に対して国が支援するという枠組みあったからだという。
ファニーメイ、フレディーマックは、低所得層への住宅ローンという本来はリスクが高く、資金調達コストが高くなるはずの事業をやっていたにもかかわらず、連邦政府の保証があったたやはり低コストで資金調達ができた。その結果、モラルハザードが起こり、高リスクの事業に過剰な投資がなされて破綻することになった。その意味で、東京電力の問題とファニー・メイ、フレディーマックの問題は確かに共通している。
最近、ジェイン・ジェイコブス「市場の倫理 統治の倫理」という本を読んだ(id:yagian:20120408:1333872322)。そこで指摘されているのは、市場の倫理に基づいて行動すべき営利企業と統治の倫理に基づいて行動すべき政府の間で倫理の混同が生じるとモラルハザードが生じるということだった。まさに、東京電力では市場の倫理と統治の倫理の混同による問題が生じているし、その混同はむしろ深まっていると思う。
ここまでは、私もおおよそそのように思っていたし、多くの人も気がついていることだと思う。「国策民営の罠」がユニークなのは、そこにとどまらず、更にさきまで探求を進めていることだ。もし、政府が福島第一原子力発電所の事故による損害賠償を肩代わりするならば、東京電力の株価の暴落が説明できないと考える。そして、「原子力損害賠償法」を読み込み、この法律にはグレーの部分があって、政府がすべての損害賠償を負うと明確に書かれている訳ではないことを発見する。そして、なぜこのような法律が成立したのか、その歴史的経緯を探求する。
竹森俊平が提示する「原子力損害賠償法」の成立の経緯については、まだ仮説の域を脱していないと思うのでここでは要約しない。ひとつ重要なポイントを指摘するならば、原子力発電が商業化され、原子力損害賠償法が成立した時期には、もし最悪の原子力発電所の事故が生じた場合には、まだ日本政府もその損害の賠償を肩代わりする財政力がなかったということだ。政府としても損害をすべて賠償するという法律には不安を感じており、それゆえグレーな部分が残った。
エピローグに現在の東京電力に対する処理について次のような提案が書かれている。

 そもそも、巨大な賠償責任を負った東京電をどうするべきなのだろうか。…東電は支援がなければ破綻する。「それがベストだ」というのが、筆者の立場である。東電は資産をすべて売却して賠償責任を果たせるだけ果たし、破綻するのが一番良い。…賠償と原子力の負担からフリーになった新東電が電力事業を進めるのが最善である。このようなプロセスを経れば、新たに電力事業を担う新会社は、福島の賠償責任や、原子炉の廃棄のための「レガシー・コスト(負の遺産)」から自由になることができるのだから。
 民主党政権は、…この選択を取り得たはずだ。…「原子力損害賠償支援機構法」が東電の損害賠償の実行を支援するという仕組みをつくった。…

 しかし、東電が機構からの援助を受ける条件として徹底した「リストラ」を実行しなければならない。…これが「東電を潰して、新東電事業を引き継がせる」という右に述べた筆者がベストと考える案と比べて、政府案が劣るとおもわれる点である。なぜなら、いま、日本に一番不足しているのは伝記で、電力不足の問題は電力会社が火力発電所にどんどん投資しない限り解決しないからである。加えて、日本のグリッドの配備が遅れているという問題もあり、この解決のためにも電力会社の積極的な投資が必要なのだ。
 要するに、ここには日本で一番嫌われている会社が、同時に日本で一番投資を必要とする書いさやであるという根本的なディレンマが存在する。このディレンマを解消したかったら、新会社を作って、好かれる会社に変えればよかったのが、それがダメなら、嫌われる会社だろうと、ともなく現東電に積極的に投資してもらうしかない。…
 言い換えるならば、政府が取るべき選択は、東電を殺すか、活かすか、のどちらかであって、活かすでもない、殺すでもないという現在の選択は最悪である。

 かつて松永安左エ門が述べたように、商売は商売、技術は技術で、両者の混同を生むような「国債く民営の罠」ほど、経済にとって迷惑なものはないのだから。
(pp250-251)

常識で考えればこうなると、私も思う。

国策民営の罠―原子力政策に秘められた戦い

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世界デフレは三度来る 上 (講談社BIZ)

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世界デフレは三度来る 下 (講談社BIZ)

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市場の倫理 統治の倫理 (日経ビジネス人文庫)

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