「石橋湛山評論集」を読んで

石橋湛山評論集」を読んだ。
大正から戦後にかけての彼の評論が収録されている。改めて書くこともないが、確かに石橋湛山の主張は大正期から戦後まで一貫している。
大正時代から、彼は一貫して朝鮮、台湾、満州の植民地を放棄すべきとの小日本主義を主張している。
それは、決して「イデオロギー」の観点からの主張ではなく、国益小日本主義が有利であるとの考えに基づいている。植民地を支配することによる経済的な利益は小さく、自由貿易を推進すればその方が利益が大きいと指摘している。また、国防上緩衝帯としての植民地が必要との主張に対し、植民地を増やすこと自体が国際的な緊張をかえって高めているし、軍事費の負担も増大すると主張する。むしろ、自ら植民地を放棄することで、中国を始めとしたアジア諸国の支持を得ることができ、また、列強との交渉上も優位に立てるという。
実際、戦後の日本は小日本主義を採用し、国を成立させる上で植民地が必要ないということが実証された。
彼が主張を一貫させることができたのはなぜなのだろうか。彼の本を読むと、骨太の常識、良識というものを感じる。理論のための理論、イデオロギーのためのイデオロギーではなく、あくまでも現実の状況においてどのような政策を選択すべきか、ということを考えている。また、その一方で、現実を単に是認するのではなく、その寄って立つ根拠を冷静に見つ、批判している。
石橋湛山は、昭和16年に書かれた評論で、全体主義共産主義について次のように書いている。公平な評価をしていると思う。

しかるにかのうにして興って来た近代資本主義、自由主義が、最近凋落して参った。…この前の大戦(引用者駐:第一次世界大戦のこと)は、戦争が済めば、以前通りの正解に戻るものと考えられていたのですが、…世界の秩序を回復する策も失敗に帰し、そうして経済界は世界的に非常な不景気と混乱に陥りました。

 そこで、この失敗した資本主義に代わって出て来たのが、一は共産主義、他は全体主義であります。…
 人間は常に指導原理がなければ生きて行かれません。しかるに従来の指導原理であった資本主義が右の如くになりましたので、どうしてもこれに代わるものがなければならない。…わが国においても、一時共産主義が、若い者の間に流行し、更に近年全体主義が流行して居るということも、決して無意味の現象ではないのであります。…

 昔から官営事業は、私営事業よりも、能率が悪い。…計画経済統制経済は、この官営事業に比するべきものです。故にもしこの経済を成り立たせようと思うなら、従業者の一人一人の人的能率は下がっても、これを償って、なお全体として生産が殖える何らかの技術が入用です。…

 のみならず、もう一つ考えなければならぬ事は、人の問題です。資本主義には、資本家、企業家という者が起って、新しく発明され機械を利用し、自己を利したと同時に、社会を利した。今日の統制経済計画経済において、この資本家企業家に当たるものは誰かと考えて見ますと、どうもそれがまた未だ見当らないのであります。もし現在動いている者の中から、これを探せば、官僚でありましょう。…

 経済の側面において、資本家企業家は、生死を懸けて仕事をしなければなりませんでしたから、従って彼らはまた、経済に至大の関係をもつ政治に無関心なるを得ませんでした。…資本主義機構下の政治家は、厳しき責任を負わされて真剣に政治を行わねばなりませんでした。…

 責任を負わせるのには、…失敗すれば死活に関するのでなければなりません。しかるに経済は計画経済で、政府が総てこれを指図する。その政府は、官吏の寄合世帯で、もし或る仕事に失敗しても、他に転任すれば、咎めもなく済ましていられるという仕組みでは、責任の負い手はいない。それで政治も経済も、真剣に運営せられるわけはありません。今日の我が国は現にややさようの観を呈しています。
(pp224-231)

戦後、自民党政権下で、政官民が癒着した一種の統制経済体制が形成され、「政治も経済も、真剣に運営せられるわけはありません」という状態だったのだと思う。民主党になり、混乱は根深いけれど、「真剣に運営されれる」までの移行期だと考えたい…

石橋湛山評論集 (岩波文庫 青 168-1)

石橋湛山評論集 (岩波文庫 青 168-1)