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国家資本主義と自由市場資本主義

しばらく前、「民主制、官僚制、市場機構」(id:yagian:20120515:1337054347)というエントリーを書いた。
なんども繰り返して書いているけれど、3.11以来、原子力発電システムのような巨大システムをどのようにコントロールすべきか、また、民主的な国民国家はどのように関与すべきなのかということについて、基礎にさかのぼりつつ考えている。当然答えは見えないのだけれども、多少糸口が見えてきたような気がしている。
民主的な国民国家といってもいろいろなバリエーションがある。それらのバリエーションは、民主制(大統領、議会、内閣など)、官僚制(政府、企業を含む)、市場機構の三つの要素の関係で整理することができ、また、望ましい民主制国民国家を構想するにはこの三つの要素への権力の配分を考えればよいのではないか、というのが当面の仮説である。
アメリカはかなり極端で、市場機構の要素が強く、官僚制を弱めようという志向がきわめて強い。官僚制に対抗するために民主制が活用されているが、大統領や議会が市場機構を統制しようとする訳ではない。しかし、マックス・ウェーバーが指摘するように、一般的には国家の規模、そしてそれが対象とする領域が拡大すればするほど官僚制が必要とされ(アメリカすらも含め)、官僚制に情報が集中するとそこに権力が生じる。しかし、官僚制は基本的には決められたルールにしたがって価値中立的に事務を処理するのは効率的であるけれど、ルール自体を創造的に破壊して自己革新することは難しい。そのためには、市場機構や民主制が官僚制に対抗することが重要である。
しかし、民主制、官僚制、市場機構がそれぞれ牽制しあうのではなく癒着する場合もあり、不公正かつ危険をもたらすことになる。ドワイト・アイゼンハワー大統領が退任演説(id:yagian:20110910:1315606682)で産軍複合体の危険性を指摘していたが、まさに日本における原子力村も(id:yagian:20110623:1308831551)議会、官僚、そして本来は市場機構の一部として行動すべき電力会社が結託して行動ていたことが大きな危険を引き起こした典型的な例である。
さて、ちょうどイアン・ブレマー「自由市場の終焉 国家資本主義とどう闘うか」を読んだが、この問題意識と非常に重なっていた。彼は、中国、ロシア、サウジアラビアUAEなど社会主義国家ではないけれども、国家がその体制維持のために経済に介入する国を国家資本主義と呼び、その分析を行っている。国家資本主義について説明している部分を引用したいと思う。

…「市場スペクトル」…左右の端に位置するのはそれぞれ、経済に果たす役割をめぐる両極端の形態である。左端は自由市場をいっさい排除した共産主義の理想郷である。試合の際にすべての選手の一挙手一投足を完全にコントロールするのだ。この極端な形態はこれまでに実現したことがない。どれほど統制の厳しい国でも、需要に応えるために闇市場で供給が行われるからだ。右端はリバタリアニズムの理想郷を表しており、一部では「無政府資本主義(アナルコ・キャピタリズム)」とも呼ばれる。この極端な形態では政府は存在せず、市場の管理、規制、介入などに当たるいかなる権能を持つものもない。審判不在のまま試合が行われるのだ。
 これら両極端のあいだに現実世界のさまざまな資本主義が位置する。いちばん左が自由市場の活動をきわめて狭い範囲に限定した指令経済(例:現在のキューバ)、いちばん右が政府介入を最小限にとどめた自由市場経済(例:十九世紀後半のアメリカ)である。このより現実的な範囲に位置する諸体制の主な違いが、政府が経済活動にどこまで関与するかにある。
(pp59-60)

冷戦後、社会主義体制が崩壊し、政府の介入が小さい自由市場経済の国家が増え、また、自由貿易が拡大し世界の経済が拡大した。しかし、その一方で、成長著しい新興国のなかで中国やロシアのように国家資本主義に基づいて運営されている国があり、それを無視することができなくなってきた。特に、リーマンショックにより自由市場経済の国家においても経済の介入を深め、国家資本主義の中国がその影響を抑え成長を維持することができたことで、国家資本主義の勢いが増している。
確かに、ロシアは、社会主義国から一気にルールなき自由経済に転換して大きな混乱に陥った。自由市場が機能するためには、必要な情報の公開、契約の履行、インサイダー取引の取り締まりなど「公正さ」の確保が必要である。社会主義崩壊後のロシアは、自由市場を支える「公正さ」がなく、単なる弱肉強食の経済となり、マフィアが跋扈することとなった。そして、権威主義的なプーチン政権が国家資本主義に基づく統制を行い、ある程度の秩序を回復した。中国はロシアの教訓を生かしながら、政権を維持しつつその範囲内で経済の自由化を進めてきた。
イアン・ブレマーは、国家資本主義をいずれは限界にぶつかるとみている。経済が成長し続けるためには市場機構による創造的破壊が必要とされるが、国家資本主義は自由市場よりは政権の安定を優先する。だから、経済の自由化による発展に大きな制約がある。
イアン・ブレマーは日本を自由市場経済の国に分類してくれているけれど、内側から見れば国家資本主義なのではないかと思うことが多い。たとえば、つい最近まで日本で最大の預金量を持っていた金融機関が国営であり、その投資先を官僚の裁量で決めており、まだその民営化に反対する政治勢力が無視できない状況にある。これが国家資本主義でなくてなんなのだろうか。
日本の高度成長における通商政策が実効性を持っていたか、というテーマに関する議論が経済学の領域で行われ、大勢としては否定的だという。私はイアン・ブレマー同様に国家資本主義には否定的である。日本の高度成長は国家資本主義によるものではなく、単に、高度成長する条件がそろっていたから高度成長し、たまたま通商政策も同時に行われていただけだと思う。また、現在の日本の停滞の大きな原因は、過去の国家資本主義的体制、政策の残滓によるものだと思う。
中国の高度成長も、ロシアのような無政府状態の混乱を避けているという意味では賢明さはあるけれど、社会主義から自由市場を導入し、日本の高度成長期のような高度成長の条件がそろったことによる一時的なもので、継続的に成長を続けるにはいずれは共産党政権の維持の枠内を超えた自由市場経済を実現しなければ日本のように停滞するだろう。
ロシアはプーチンの強権的な国家資本主義への批判はあるようだ。しかし、第二位の政党が共産党であり、自由市場経済を代表する有力な政党がなく、プーチン政権に代わりうる現実的な政治勢力がない状況にある。日本も、自民党の長期政権下、事実上政治、官僚制、一部の市場機構が結託した国家資本主義的な体制であった。小選挙区制度への移行でその体制を突き崩す可能性は生じ、現実に政権交代が実現したいが、しかし、現実的な自由市場経済を主張する政党がない状況にある。
いろいろ考えると、民主義国家が有効に機能するのはかなり奇跡的な条件がそろわなければならないような気がしてきている。

自由市場の終焉―国家資本主義とどう闘うか

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