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継承すべき伝統とは

川田順造「江戸=東京の下町から 生きられた記憶への旅」を読んだ。
川田順造は、戦前の深川に生まれ育ち、この本のなかでも彼が行なってきた深川のフィールドワークの結果が収録されている。それを読むと、川田順造は、東京は江戸との連続性が破壊されていることを強調するけれども、やはり、深川は極めて「江戸」的だと思う。
一方、私は、このウェブログでもなんども書いているけれど、北区の生まれ、雑司が谷在住であり、山の手の際に住んでいる。雑司が谷にも鬼子母神があり江戸の名残はなくはないけれど、この地域には「江戸」的な要素は乏しく、「東京」の住民だというアイデンティティがある。
成島柳北饗庭篁村幸田露伴、関西に移住したけれど日本橋育ちの谷崎潤一郎は「江戸っ子」なのだと思う。一方、早稲田生まれの夏目漱石、田端の芥川龍之介九鬼周造は、山の手の「際」の「東京っ子」という印象がある。やはり「東京っ子」だった広津和郎芥川龍之介とは特に親しかったわけではないけれど、会うと話が合ったという話を書き残しているが「東京っ子」としての共感なのだろうと思う。
さて、この本のなかで、江戸=東京から見た皇室について、次のように書かれている。

 明治以後の日本皇室の生活慣行は、平安時代までの要素と、十九世紀イギリス王室の生活慣行との、奇妙なつなぎあわせの上に成り立っている。天皇、皇后はじめ皇族の服装は、婚礼などの場では束帯や十二単だが、他の多くの場では、第二次大戦の敗戦まで、イギリスも敵国として戦っていた時期を含めて、軍装の大礼服をはじめ十九世紀のイギリス王室を模倣した服装であり、裃、紋付羽織袴、留袖、振袖など、江戸時代の礼服は着用せず、舞楽や相撲は観るが、武家の礼楽であった能は排除され、単価は詠むが俳句は作らず、茶の湯はたしなまず、それでいて女王が自分の持ち馬を走らせるイギリス王室に倣って競馬には関心をもち、強兵の国策に沿った”馬匹改良”の名目で、天皇の持ち馬はだないこの西洋渡来の大衆ギャンブルに、「天皇賞」を出すのである。もとの大陸ではとうの昔に滅びてしまった舞楽が、天皇家の式楽として、日本では現在まで保存されている。要するに鎌倉幕府から徳川幕府にいたる、七世紀に近い、武士が実権を握っていた時代の日本文化は、明治以後の天皇家では無視されている。
 だが、今いわゆる日本的とされる文化、つまり外来の要素を吸収咀嚼して、日本独自のものとして創出された文化の大部分は、鎌倉、室町、安土桃山、そして江戸時代のものだ。それらの文化は明治以降の皇族にはない。舞楽と大礼服、ローブ・デコルテやローブ・モンタントと束帯、十二単のとりあわせは、現代日本人の目にはエキゾチックなものの不思議な接合として映る。
 このように徹底して徳川文化、武家文化の伝統を否定した明治維新天皇が、こともあろうに徳川歴代将軍の居城に入居したというのは、興味深い選択だ。…
(pp122-123)

日本の文化、伝統は、室町時代に断層があると指摘されることが多い。京都に行き、北山文化を代表する金閣寺と東山文化を代表する銀閣寺を続けてみると、銀閣寺以降の文化が今の自分と連続性を感じることができる伝統の範囲だと感じる。
源氏物語を読んでいると、そもそも親族の構造が現代と違っていて、その男女関係のありようも半ば外国の話のように思える。源氏物語本居宣長の再評価までは、非倫理的な書物として非難されてきた歴史があるけれど、確かに室町以降の「イエ制度」の倫理と源氏物語が相容れないのは明らかである。
明治以降の天皇家武家文化を否定した背景の一つに、本居宣長などによる国学の影響がある。宣長にしてみれば、中国の影響以前の天皇、あえて言えば、飛鳥時代以前の天皇に復古するのが理想なのだろうと思う。源氏物語平安時代の作品だけれども、本居宣長はそのなかに中国の儒教の倫理に影響されていない古代日本の倫理を見ていたがゆえに、正面から賞賛した。
実際には飛鳥時代以前の国学が考える天皇を復古するのは、その時代の天皇は「制度化」以前の状態であり、近代国家のなかで実現することは事実上不可能である。結局のところ、武家文化の伝統を無視し、また、イギリス王室の伝統を接木して対外的な体裁を整える形での天皇のあり方に落ち着いたのだろう。「からごころ」を否定する本居宣長は、大陸渡来の舞楽についてはどのように考えただろうか?
しかし、天皇家が日本の伝統の守護者だとするならば、室町時代から江戸時代の伝統を無視するのはいかにも奇妙である。特に、茶の湯の伝統は、この時代の伝統文化の集大成でもあり、その教養を天皇家のメンバーが身に着けていないとするならば、大きな問題ではないだろうか。
おそらく、現代の天皇制を認める国民は、天皇が日本の伝統を代表する存在であってほしいと考えていると思う。天皇の血統が問題になるのは、伝統の継承ということを血統に仮託しているのだと思う。それゆえ、天皇の継承の方法をめぐってさまざまな議論が交わされる。
しかし、天皇家の継承が男系であるべき、とか、女系も認めるべきとか、女性天皇の存在をどのように考えるべきか、などという問題は、どちらかと言えば枝葉末節ではないかと思う。それより、天皇が担うべき日本の伝統文化はどのようなものか、また、川田順造が指摘するように現代の天皇が担っている伝統は日本人の目からも「エキゾチック」であるという現状の方が問題ではないだろうか。
以前のエントリー(「天皇制民営化論」(id:yagian:20120508:1336486334))で書いたように、個人的には、天皇家は京都に戻って明治以前の伝統文化の守護者として存在すべきだと思っている。少なくとも、茶の湯を嗜むのは当然だと思う。京都には天皇家と結びついたさまざまな伝統文化がいまならまだ残されている。早く戻ってそれらの伝統を守ることが天皇家の役割ではないだろうか。
その伝統を守護することができれば、男系、女系、男子、女子という問題は二義的なものだと思う。

江戸=東京の下町から――生きられた記憶への旅

江戸=東京の下町から――生きられた記憶への旅