文化的適応放散

英語の方のウェブログ("Everyday Life in Uptown Tokyo" (http://goo.gl/EuVns))に、割りと気に入ったエントリー("Cultural Adaptive Radiation" (http://goo.gl/l2dqc))が書けたので、和訳を転載しようと思う。自分で自分の英語を翻訳しても、翻訳臭がするのが、我ながらちょっとおもしろい。

私は現代のポップ・カルチャーを批判するぐらいには歳を取っているので、このエントリーはただの年寄りの繰り言である。
有袋類オーストラリア大陸に到達した時、高等な哺乳類は生息していなかった。有袋類のための空の生態学的ニッチがたくさんあったから、樹上に生活する草食獣のキノボリカンガルーから、肉食獣であるタスマニアン・デビルまで、きわめて多様な種に爆発的に進化した。この現象は、適応放散と呼ばれている。
人間の文化にも似た現象が見られる。私は「文化的適応放散」と呼んでいる。ロックンロールはブラック・ミュージックにおけるダンスミュージックのスタイルの一つだった。ロックンロールが白人音楽に移入され、ロックに進化した。1960年代、ビートルズが多様なロック・ミュージックを創造し、ロック・ミュージックの進化の可能性を示した。1970年代のロック・ミュージックの進化はまさに「文化的適応放散」だった。私は、新しい生態学的ニッチを発見したロック・ミュージシャンの興奮が感じられるので、1970年代のロック・ミュージックが大好きだ。
適応放散の後、生態学的ニッチは飽和する。オーストラリア大陸での有袋類の爆発的進化は止まってしまう。同じように、ロック・ミュージックの進化は1980年代に止まる。1970年代以降、グランジが唯一新しいスタイルのロック・ミュージックである。1980年代に生まれたヒップ・ホップが最後の新しいポップ・ミュージックのスタイルである。いまやポップ・ミュージックは飽和状態である。
あるエントリーに「いまは、音楽プロデューサーにとっては悪い時代かもしれないけれど、リスナーにとってはいい時代だ。わたしたちリスナーにとって、なんでもインターネットからはるかに簡単に入手できる。」(http://goo.gl/YRwhP)と書いた。いま、主として私はインターネットから入手した1970年代のポップ・ミュージックを聴いている。現代のポップ・ミュージックは楽しくないから。
現代のポップ・ミュージックは、古いポップ・ミュージックの組み合わせだけで、新しい音がない。現代のポップ・ミュージックを聴いていると、若いミュージシャンは古いポップ・ミュージックを深く研究していると感じることがよくある。たぶん、新しい空いた生態学的ニッチが見つからず、進化できないのだろうと思う。
別のエントリーに「いまやロックも現代的な音楽じゃないと思う。90年代にヒップ・ホップがロック・ミュージックを殺した。ニルヴァーナが最後に新しいロック・ミュージックを創造したバンドだ。」(http://goo.gl/BBsgT)いま、ロック・ミュージックはタスマニアン・デビルのような絶滅危惧種だ。