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"The Internet"と「网络」と「インターネット」

TED(http://www.ted.com/)のPodcastを聴きながら通勤することがある。この前、TEDで"Michael Anti: Behind the Great Firewall of China"(http://goo.gl/hGGux)という中国におけるインターネットについてのスピーチを聞いた。
スピーカーのMichael Antiは、世界には"The Internet"と"China net"の二つがあると語っていた。グレート・ファイアウォールに囲い込まれた"China net"の中では、"google"にアクセスすることはできないが「百度」があり、"twitter"にはアクセスすることができないが「微信」がある。中国内では、"The Internet"と違う生態系が存在するということだ。
私も、同じ趣旨のテーマについて英語のブログに書いたことがある。"The Great Firewall Is a Great Waste Like the Great Wall"(http://goo.gl/OVq7x)このなかで触れているけれど、中国人の大学生によると、グレート・ファイアウォールをハックすることは大学生ならば必須の技術で「翻墙」という言葉もあるという。たしかに、"Wikipedia"をコピペできないと大学生生活に支障をきたすだろうなと思う。
考えてみれば、日本の「インターネット」も"China net"のことをあまり笑えない。日本政府はグレート・ファイアウォールを作っていないから、"The Internet"にアクセスすることが強制的に制限されている訳ではない。しかし、"The Internet"のインフラの上でも、日本語だけで読み書きをし、日本語のサービスを利用していると、結局"The Internet"にアクセスしているのではなく、「インターネット」に閉じこもっていることになる。"Wikipedia"は"The Internet"のサービスだが「ウィキペディア」は「インターネット」のサービスである。"Twitter"を利用していても日本語だけで読み書きをしていれば、結局「微信」と大差はない。
日本人の英語力の不足に関してさまざまな議論があるが、その原因は日本で暮らしていく上では日本語だけであまり不便はない、ということにつきると思う。
私は大学で文化人類学という学問を専攻した。日本のなかでは文化人類学は非常にマイナーな学問だから、卒論を書こうと思うと日本語の文献だけでは無理である。このため「仕方なく」英語の文献を読み、何とか卒論を書いた。日本に暮らしていて英語にあまり触れていない人は、たまたまこういう「仕方なく」の体験がなかったのだと思う。
世界的に見れば、日本語圏は翻訳がかなり盛んな国である。翻訳者も多いし、一定の規模もマーケットもある。文化人類学などというマイナーな学問を専攻しなければ、普通に大学を卒業するためには英語の文献を読まなければならないという体験をしなくて済む。
しかし、ふつうの非英語圏の国では、高等教育レベルになれば「仕方なく」英語の文献を読まなければならなくなり、いやでも英語圏に片足を突っ込むことになる。母国語化されたアプリはほとんどなく、WindowsiOS英語版を使っているだろう。もちろん、母国語版の"Wikipedia"はない。そういう国で暮らしていれば、必然的に"The Internet"に参加することになるだろう。
私の英語版ブログ(http://goo.gl/EuVns)の読者にも非英語圏出身者も多い。彼らのブログやFacebooktwitterを読んでいると、二重言語生活(場合によっては、三重、四重)をしていることがわかる。あるブラジル人の友人は、ポルトガル語の本が嫌いだから、もう何年も英語の本しか読んでいないと言っていた。
ここでもある程度の市場があるためガラパゴス化が進むという日本語圏の原理が働いている。