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近代化と土着性:フラと盆踊り

雑感 旅行 読書

最近、日本語のウェブログを書く意欲が低下している。今日も、英語版(http://goo.gl/wfQMO)の和訳の転載をする。日本語が固いのは翻訳(自分で書いたのを自分で翻訳しているのだけれども)ため。

また、「マーク・トウェインのハワイ通信」について書こうと思う。

彼は、この本のなかで、フラについて次のように書いている。

夜になると、彼らはお祭りをする。少女たちは扇情的なフラフラを踊る―よく訓練された腕、手、頭、体の完璧な動き、動きの非常に正確な一致、とタイミングの正確さを表現していると言われているダンスである…

しかし、年が経るにつれ、土曜日に催されていたかつてのにぎやかなお祭りの大半はなくなってしまった。現地の人たちがしていた毎週のお祭り騒ぎは、労働や白人の風習、法による禁止、キリスト教の説教、その他さまざまな方法で妨げられ、徐々に廃れていった。魂を抜かれてしまったフラフラは、上演を禁じられた。公的な義務により、夜間に室内で演じることだけが許可されていた。そのときには10ドルの報酬が与えられた。今日では、完成度が高い芸術としての古代国家のダンスを演じられる少女はほとんどいない。
(Pp70-71)

マーク・トウェインはこの記事を1866年に書いている。彼はいつもハワイの文化に同情的だが、それと同時に文化が失われていく様を書いている。もちろん現在では、フラはハワイの文化のシンボルの一つだし、禁じようとする人はいない。

フラは単にハワイの文化の要素の一つではなく、海外にも広まっている。例えば、日本ではフラの愛好家がたくさんいる。しかし、1866年のハワイでは、「今日では、完成度が高い芸術としての古代国家のダンスを演じられる少女はほとんどいない」という状況だった。

この記事は、著名な科学者であり随筆家でもある寺田寅彦(1878年生まれ)が書いたエッセイを思い起こさせる。彼は1933年に「盆踊り」について書いている。盆踊りは、現在では夏祭で踊る非常にポピュラーなダンスである(このエッセイについて、日本語のウェブログに書いたことがある (http://goo.gl/I8v6U))

彼のエッセイを英語に翻訳してみようと思う。

盆踊といえば生来ただ一度、それも明治三十四、五年頃、土佐のある淋しい浜辺の村で一晩泊った偶然の機会に思いがけない見物をしただけで、それ以後にはついぞ二度と見たことがなかった。その頃にはこういうものは、「西洋人に見られると恥ずかしい野蛮の遺習」だという風に考えられて、公然とは出来ないことになっていたように記憶する。

かつて盆踊りが禁じられていたこと、寺田寅彦が一回しか盆踊りを見たことがないということを知って、非常に驚いた。現在、盆踊りはとてもポピュラーだから、禁じられるという可能性を想像することすらできない。

マレーシアの「第36回(!) 盆踊祭り2012」というものをインターネットで見つけた (http://goo.gl/gniQ3)。盆踊りはフラほど世界でポピュラーな訳ではないけれど、少なくとも「恥ずかしい野蛮の遺習」とは思われていない。

近代化は世界を均質化し、土着性は世界の多様性を守っている。マーク・トウェインは、フラに代表されるハワイの文化の土着性の重要さを19世紀半ばにすでに認識していた。

Mark Twain's Letters from Hawaii

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