日本語で読む、日本語で書く、英語で読む、英語で書く

当初はどのくらい続くかなと自分でも危ぶんでいたけれど、英語のウェブログ(http://goo.gl/EuVns)も、2年半ほど経ち、いまではすっかり習慣になった。
この日本語のウェブログと英語のウェブログを交互に書くようにしている。はじめは、英語のウェブログを辞めないようにという配慮だったけれど、だんだん英語のウェブログに書くほうがおもしろくなり、日本語の方のウェブログを書くのが億劫になってきた。
英語のウェブログに投稿したエントリーは、和訳を添えてLang-8(http://lang-8.com/220806)にも掲載して、ネイティブスピーカーに添削してもらっている。和訳をするのは、日本語学習者に役に立つから、と言われているからである。確かに、私がウェブログに書いているような、インターネット上に素人が普通に書くレベルの日本語で英語の対訳がついた教材というのはあまりないから、勉強の一助になるだろうと思う。
日本語のウェブログを書くのが億劫なときには、和訳を転載してお茶を濁すことが多くなった。これは久しぶりの日本語オリジナルのエントリーである。しかし、「お茶を濁す」ようになるぐらいだったら、日本語と英語を交互に書くという自分のなかのルールは撤廃したほうが自然でいいかなと思いつつある。
Amazon.comでいくつかKindle用の電子書籍を買って、iPhoneKindleアプリで読んでいた。注文した瞬間に入手できる電子書籍があまりに便利で、快適なので、ハードウェアのKindleが欲しくなった。Amazon.co.jpにもKindle発売の予告がでているけれど、販売日の発表がないので、Amazon.co.jpへの対応がどうなるかわからないけれど、Amazon.comから英語版Kindleを見切り発車で買ってしまった。買ってしまったので、それを眠らすのももったいないので、これからは基本的には英語で書かれた本は英語で読むことにした。
(それにしても、一向にAmazon.co.jp電子書籍化に協力しない日本の出版社は、消費者軽視もはなはだしいと思う。KindleはeInkが思いのほか読みやすいし、薄くて軽く、辞書をひくのも楽でなかなか快適である。)
肩慣らしに二、三冊英語で読んでみたけれど、日本語で読むような斜め読みはできないものの、それなりのスピードで読むことができたから、もう和訳はいらないかなと思った。恐らく、平易な和訳ができる英語は、英語で読んでも読みやすいだろうし、和訳が難解になってしまう英語は、英語も難しいのだろう。日本語でも英語でもどっちにせよ難しいなら、英語で読んだほうが自分で納得ができる。
今までは基本的に和訳されている本を読んでいたのだが、その制約を外すと、当然のことながら本を選ぶ選択肢が広がることに気がついた。そう考えると、なんでいままで和訳されていた本に限って読んでいたのか、その方が不思議なことのような気がした。
逆に、日本語で読むべきものはなんなのだろうか、と考えると、あんがい数が少ないような気がしてきた。もちろん、日本文学は日本語が読めるのだから日本語で読む。それを除くと、あまり日本語で読みたい文章ってあるのだろうかと思ったりもする。最近は紙の新聞は読んでいない。メールでNew York Timesのヘッドラインが送られてくるのだが、それを全部読むのも難しいので、日本の新聞まで手が回らない。それに、3.11で日本のマスコミの情報だけ見ていてはダメだということは痛感した。日本のニュースはとりあえずNHK-BSで済ませて、他に日本語の時事的な文章を読むこともないかと考えている。
自分でウェブログを書いていながら、知り合いのウェブログ以外の他の人のウェブログは読んでいない。正直に言えば、その人に興味がなくとも文章だけで読む気が起きるウェブログというものは、自分のものを含めて、ほとんどないと思う。また、英語のウェブログが活動の中心になると、知り合いのウェブログも英語のものが増えてくる。
しかし、考えてみれば、日本のインテリは、どのくらい外国語で海外に向けて発信をしているのだろうか。もっぱら海外の文献の和訳をしていて、発信はしていないのではないだろうか。もちろん、なかには発信している人もいるのだと思うし、逆に日本国内では知られなかったりするのだろうけれど、日本語の世界のなかに閉じていていいのだろうか、という疑問も感じる。