因果系宇宙に生まれて

私は北区出身ということもあり、清野とおる東京都北区赤羽」をいまさらながら読んでみた。
清野とおるが冒頭で書いているように、北区は荒川区とならんで東京23区の辺境で、その住民以外は誰も関心を持っていなかった。正確に言えば、清野とおる自身がそうだったように、住民自身も北区や荒川区に関心を持っていなかった。恐らく、北区や荒川区の形を書け、と言われて正確に書ける人はほとんどいないだろう。
私は北区や荒川区の近辺を「三流下町」とか「下町情緒がない下町」と呼んでいる。どう考えても下町なのだが、歴史もなければ情緒もなく、もちろん老舗などもなく、ただ木造の小さな家が密集しているだけの地域である。
戦前、私の実家があった地域は「滝野川区」だったが、戦後は「北区」になった。考えてみれば、「北」という言葉は単に方角を示しているだけで、固有名詞である地名ですらない。この地域には、かつて「滝野川」という地名で呼ばれていたが、現在では地名すら剥奪され、単に「東京の北の方」というぼんやりとした名称が与えられている。そんな固有の地名すらない地域に住民もアイデンティファイできるはずもない。
江藤淳の随筆のなかで、大久保の一軒家から焼け出された江藤淳の家族が、北区王子にある父親の銀行の官舎に移り住んだことが書いてある。たしかに、その官舎は急ごしらえのバラックのようだったけれど、青年だった江藤淳は「ここまで落ちぶれてしまったか」という感慨にとらわれる。私は江藤淳の大ファンである。また、北区、ことに戦争直後はスラムだったかもしれない。が、が、が、はじめからそこに住んでいる住民にとって、この言葉をどう受け入れればいいのだろうか。北区に生まれるということは「落ちぶれた」ところからスタートすることかもしれない。
そんな北区について書かれた「東京都北区赤羽」は、薄められた根本敬「人生解毒波止場」だった。清野とおるが赤羽のアパートに住み、赤羽の奇妙な人々について書く。彼の視線はほとんど根本敬の因果敬宇宙の住民へのまなざしと重なっている。根本敬の作品はあまりに強烈で読む人を選ぶけれど、清野とおるはそこまでは濃くないので、ふつうの人が好むかどうかはわからないけれど、少なくとも不快感は感じないと思う。
最近、「もやもやさま〜ず2」も、普通のいい町に行くことが多いけれど、そもそも「もやもや」という表現は、北区や荒川区のような、私の言葉で言えば「三流下町」を指していたのだと思う。「もやもやさま〜ず2」は、テレビだからそうとう薄めているけれど、視線としては根本敬に近いと思う。さま〜ず(彼ら自身も「三流下町」出身)が、因果系宇宙の住民を見つけていじる、というのが番組のコンセプトだったはず。
なぜか、「もやもや」した「三流下町」には、因果系宇宙が黒々と広がっていて、清野とおるが赤羽でその住民を発掘している。あまり分析はできていないけれど、「もやもや」した地域は、なぜかその種の人たちにやさしく、生息しやすいのだと思う。少なくとも、港区や目黒区、はたまた、杉並区や武蔵野市では因果系宇宙の存在自体が認められないような気がするし、練馬区では牧歌的すぎて因果系宇宙が成立しないのではないかと思う。
東京都北区赤羽」や「もやもやさま〜ず2」を見ていて、根本敬の発見の偉大さと影響力を感じる。彼がいなければ、このなんともいえない「三流下町」の「もやもや」感が、ある概念として切り出されることはなかっただろうし、薄まった形とはいえそのフォローワーが一般人に見せられる形で表現をすることもけっしてなかっただろう。
「北区」出身者として、自分の地域が因果系宇宙だったということがわかったところで、別段その地域への愛着はさっぱり湧かないし、まったくうれしくないけれど、むかしから抱えていた「もやもや」感に言葉が与えられて腑に落ちたというところが大いにある。

東京都北区赤羽 1 (GAコミックススペシャル)

東京都北区赤羽 1 (GAコミックススペシャル)

人生解毒波止場

人生解毒波止場

一族再会 (講談社文芸文庫)

一族再会 (講談社文芸文庫)