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作文革命

雑感 語学 読書

今回も英語版ウェブログ(http://murl.kz/46YqB)の邦訳です。

日本語のウェブログを15年間、英語のウェブログを2年半書き続けている私にとって、文章術にはとても興味がある。

アトランティック・マガジンウエブ版に「作文革命」という興味深い記事が載っていた(http://murl.kz/gUXUl)。記事の筆者は次のように書いている。

50年前、小学校の先生は綴方の一般的なルールと文の構造を教えていた。その後、指導はきちんとしたパラグラフを作り、完璧なエッセイを書くことに焦点が置かれた。一部の子供はこれをマスターしたけれど、多くの子供はマスターできなかった。25年ぐらい前から学校教育において、指導を活性化し、より多くの子供に作文を書かせるための別の方法が広まっていった。アリゾナ州立大学の教育学の教授であるスティーブン・グラハムによって提唱された、作文は「教えず、獲得させる」べきという考え方が一般的になった。この方法は、おおむねこんなふうに機能すると考えられていた。生徒に興味深い創造的な作文の課題を与える。その作文は、子供たちが共有できる楽しく社会的な文脈に置かれる。その理論が正しければ、子供たちはうまく書こうとするので、必要なことを「獲得できる」はずである。文法や文の構造、エッセイの作文の授業は、創造的な表現に席を譲った。

「獲得する」方法は、一部の子供たちに対しては一定の効果があった。「調査の結果、一部の生徒は非常によく「獲得」することができたが、すべてではなかった」とグラハムはいう。そして、一部の子供はまったく「獲得」することができなかった。貧困な家庭の出身で、早期教育が不十分で、学習上の困難がある子供たちは、「エッセイを書くために必要なことを「獲得」することがほとんどできない」と彼は説明する。1990年代を通して小学校と中学校では、個人的な語り、詩、思い出に関する日記を書き、正式な作文法に対する関心が欠如した「相互編集」が行われていた。中学校と高校の教師は、作文の解釈や説得に関する指導を求められていた。

アメリカの学校では文章術が重視されていると聴いたことがあったから、この記事には驚いた。

私は現在の日本における作文教育については知らないが、私は学校で「獲得技法」の作文教育を受けた。夏休みは宿題で日記を書いたけれど、教師が読む日記に何を書いていいのかよくわからなかった。

学校を卒業した後、自分で文章術の勉強をした。バーバラ・ミントの「考える技術・書く技術」がいちばん参考になった。学校での「獲得技法」はまったく役に立たなかった。もちろん、「ビラミッド・プリンシプル」が嫌いな人もいるけれど。

最善の文章術というのは、人によって違っているのだと思う。「獲得技法」で創造的な作文が書けるようになる人もいるだろうし、私のように「ピラミッド・プリンシプル」が効果的な人もいるのだろう。それぞれ適した方法を選べることが重要なのだと思う。

「海で泳ぐ」(http://murl.kz/YosG9)というエントリーで書いたように、泳ぎ方の本を読んだだけでは海で泳げるようにはならない。どんな方法を学んだとしても、うまく書けるようになるには、一定の量を書く必要がある。

バーバラ・ミントの「考える技術・書く技術」は、考えることと書くことを一体的に扱っているところが優れていると思う。あと、過去のアメリカ流の作文指導法を知りたい向きには木下是雄「理科系の作文技術」を読むとよいと思う(この本の題名はミスリーディングで、けっして「理科系」のための作文技術の本ではない)。

考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則

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理科系の作文技術 (中公新書 (624))

理科系の作文技術 (中公新書 (624))