すべてはクリント・イーストウッドの映画から学んだ

英語版ウェブログ(http://goo.gl/EuVns)でクリント・イーストウッド同性婚に関するインタビューを取り上げたエントリー"Let's Spend A Little More Time Leaving Everybody Alone: Clint Eastwood and Me"(http://goo.gl/tkTyX)を書いた。日本語話者にも伝えたいと思ったので、ポイントを要約して書こうと思う。
クリント・イーストウッドの監督としての最新作である「エドガー」は、エドガー・フーバー自身がゲイだったため、「ゲイ」であることがテーマの一つとなっている。この映画に関するGQのインタビュー(http://goo.gl/eycTH)のなかで、クリント・イーストウッドは以下のように答えている。

Because what I really believe is, Let's spend a little more time leaving everybody alone. These people who are making a big deal out of gay marriage? I don't give a fuck about who wants to get married to anybody else! Why not?! We're making a big deal out of things we shouldn't be making a deal out of.

自分なりに和訳するとすると、こんなかんじになると思う。

私が心から信じていることは、「もうちょっと各々に任せよう」ということなんだ。同性婚のことを大騒ぎしている奴ら?誰と結婚したいと思ったってどうでもいいだろう。そうじゃないか?騒がなくていいことを大騒ぎしてんるんだよ。

クリント・イーストウッドは自分の立場を"social libertarian"と呼んでいるようだ。徹底した自由主義者であり、それを社会的に実現しようという意味だろうか。
同性婚のことについて、「ゲイの権利」をことさらに主張する立場もありうるが、クリント・イーストウッドのように「誰と結婚するかなんて当事者の問題だろ、以上」という立場から擁護するということもありうると思う。私自身、リバタリアンを名乗っているけれど、その立場に強く共感する。
リバタリアンは右翼/左翼の分類でいけば右翼にカテゴライズされるけれど、日本の右翼にはリバタリアン的な発想が乏しくて共感できないことが多い。このことについて、以前、いくつかのエントリーに書いたことがある。
天皇制民営化論(id:yagian:20120508:1336486334)
アナキストの悲劇(id:yagian:20120520:1337500825)
アナキストの夢(id:yagian:20120710:1341867834)
結局、社会民主主義的な左翼も国家主義的な右翼もおせっかいが過ぎるということだと思う。国家主義的な右翼が「同性婚は日本の社会を崩壊させる」というのもおおげさすぎるし、「同性愛者の権利を擁護すべし」ということを声高に主張するにも違和感を感じるということだ。
リバタリアンの立場に立てば、「結局、結婚なんて当事者に任せればいいじゃないか、国が介入する話じゃない、以上。」ということだ。それでいいと強く思う。
結局、私は政治のことの大半はクリント・イーストウッドの映画で学んだのだと思う。