東京の育ちの書生、芥川龍之介と私

最近、紙の本をあまり持ち歩かないようになった。
外出先で暇を潰す時、Kindleで本を読むか、iPhoneのアプリで青空文庫を読んでいることが多い。このところ、青空文庫芥川龍之介の小説や随筆を眺めている。
芥川は、東京生まれ東京育ちで、私の実家の近所の田端に暮らしていたということもあり、勝手に親近感を持っている。
彼の小説はあまり好みではない。技巧的に上手いと思うけれど、頭で考えて作ったような印象があり、それがいかにも浅く感じられてしまう。
「枯野抄」を読んでいると、人の死に臨んでこういう心理はあるだろう、的確な分析だなと思う。しかし「小説」には、論理的な「心理分析」では到達できない、もっと深くどろどろとしたものを表現してほしいと思ってしまう。「枯野抄」には「抄」という言葉がついているけれど、この形で作品として提示するのではなく、この「心理分析」に基づいて芭蕉と弟子たちの葛藤を描いた長編小説を書いたらすばらしい作品になったかもしれない、と想像してしまう。「枯野抄」は小説家の創作メモの読んでいるような印象がある。
しかし、芥川にはそのような根気はなく、また、「心理分析」ができたところで満足してしまうのだろう。深いところまでいけるはずと思うのは読者の勝手な妄想で、やはり芥川はそもそもそこまで行けなかった。深いところまで行けない芥川の小説には飽きたらなさを感じるけれど、深いところまで行けない芥川自身は、自分に似ていると勝手に思い、一方的に共感している。
青空文庫には、芥川が雑誌の求めに応じて書き飛ばしたような雑文もたくさん収められているが、そのなかに「ああ、そうなんだよな」と思うような文章に突き当たることがある。
久保田万太郎氏」という文章に次のように書かれている。

…就中後天的にも江戸っ児の称を曠うせざるものを我久保田万太郎君と為す。少なくとも「のて」の臭味を帯びず、「まち」の特色に富たるものを我久保田万太郎君と為す。

…僕は先天的にも後天的にも江戸っ児の資格を失いたる、東京育ちの書生なり。

私は東京生まれ東京育ちであり、祖父はいわゆる「江戸っ児」だった。そして、「江戸っ児」には郷愁やあこがれを感じるけれど、自分自身が「江戸っ児」とはいえないと思う。芥川の「東京育ちの書生」という言葉は、自分のそういった感覚を的確に表現してくれている。
古今亭志ん朝の得も言われない「江戸っ児」の雰囲気は大好きだが、自分との共通点はあまり感じない。広津和郎が「年月のあしおと」のなかで芥川の印象を書いているが、この二人の会話の雰囲気はよくわかるような気がする。

 芥川君は宇野とは親しくしていたが、私とはふだん親しくつきあっている方ではなかった。しかし会などで会うと、「ここに坐ろうよ」などと云って、私と並んで腰かけることが多かった。同じ年代に東京の中学時代を過ごしたので、物の云い方に共通なものがあるので、話し易かったということもあったのであろう。そしてそこに居並ぶ誰彼のことを、彼一流の機智で槍玉に挙げながら、いたずらっ子のように面白がるのだった。

枯野抄

枯野抄

年月のあしおと〈上〉 (講談社文芸文庫)

年月のあしおと〈上〉 (講談社文芸文庫)