教養と芸術:細野さんと漱石先生

最近、細野晴臣の音楽にはまっている。
特に、トロピカル三部作と呼ばれるYMO結成前、1970年代中頃に発表されたアルバム「トロピカル・ダンディ」「泰安洋行」「はらいそ」を繰り返し聴いている。
発表当時これらのalbumの売れ行きが悪く、細野さんは「なんでこれしか売れないんだろう」と思ったという。今の目から見ると売れなかったことについては、半ばは不思議に思い、半ばは当然だろうとも思う。
トロピカル三部作の収録曲はどれも聴いていてとにかく気持ちがいい。それは、トロピカル三部作も含め、細野さんが自分にとって気持ちのよい音を一貫して追求しているからだ。こんなに気持ちがいい音楽がなぜ売れないんだろうと不思議に思う。
一方で、トロピカル三部作には聴いたことのないstyleの曲が詰め込まれていて、いったいどのgenreに含まれるのだろうかと不思議に思う。細野さん自身は「チャンキー・ミュージック」(ちゃんこ鍋とfunkyを合成した造語)と呼んでいるが、謎はいっそう深まるばかりである。
細野さんは「はっぴいえんどでファンになってくれた人が「泰安洋行」を怖がって離れていったらしい」と語っていた。聴いたこともないような音楽に対して不安になるという気持ちもよくわかる。listenerの多くは保守的だから、慣れていない音楽には拒絶反応がある。だから、売れなくて当然だったのだろうとも思う。
細野さんの「チャンキー・ミュージック」がだれも聴いたことのないような不思議な音楽になったのは、トロピカル三部作を作るまでに彼が聴き込んできた音楽があまりにもminorなものだったからだ。Daisy Worldというradio programで細野さん自身が影響を受けた音楽について種明かしをしているけれど、細野さんが好んで聴いていた音楽を聴いていた人は彼を中心としたごく狭いcircleに限られていたと思う。



しかし、そのことが細野さんの音楽、トロピカル三部作の寿命を長いものにしたのだろうと思う。この音楽は、細野さんがその時気持ちがいいと思った音、ということが根拠のすべてで、流行とはなんの関係もない。だから、古びるということがない。そして、細野さんにとっての「気持ちがいい音」という感覚と共感することさえできれば、いつ聴いても気持ちよく、楽しい。だから、発表当時は売れなかったかもしれないけれど、40年もの期間にわたって売れ続けることになった。
細野さんの音楽のあり方は、夏目漱石の小説に似ているように思う。
夏目漱石が小説家になったとき「文壇」の主流は田山花袋島崎藤村に代表される「自然主義」で、漱石は彼ら「自然主義者」から批判されていた。
一方、漱石はそのような「主義」にこだわり過ぎるべきではないと反論している。「イズムの功過」(http://goo.gl/xCgKX)から引用したい。

大抵のイズムとか主義とかいうものは無数の事実を几帳面な男が束たばにして頭の抽出へ入れやすいように拵こしらえてくれたものである。一纏きちりと片付いている代りには、出すのが臆劫になったり、解くのに手数がかかったりするので、いざという場合には間に合わない事が多い。大抵のイズムはこの点において、実生活上の行為を直接に支配するために作られたる指南車というよりは、吾人の知識欲を充たすための統一函である。文章ではなくって字引である。

しかし人間精神上の生活において、吾人がもし一イズムに支配されんとするとき、吾人は直に与えられたる輪廓のために生存するの苦痛を感ずるものである。単に与えられたる輪廓の方便として生存するのは、形骸のために器械の用をなすと一般だからである。その時わが精神の発展が自個天然の法則に遵って、自己に真実なる輪廓を、自らと自らに付与し得ざる屈辱を憤いきどおる事さえある。

まったくもって漱石先生のおっしゃる通りであり、創作者も読者、listenerも「イズムに支配」されるのではなく、「わが精神の発展が自己天然の法則に遵って」創作し、楽しむのが好いに決まっている。しかし、現実には「イズムに支配」されている人が多い。
それでは「イズムに支配」されないためには、過去の作品や「イズム」を無視し、無垢な状態で創作すればよいのだろうか。細野さんと漱石先生は正反対の事例だと思う。彼らは非常に広く、深く過去の作品に触れ、味わい、それが深い身についた教養となっている。その教養ゆえ、彼らは「イズム」から自由になっているように見える。
日本の自然主義者たちは、フランスから「自然主義」という言葉を借りてきて「イズム」を作り上げ、彼らの「イズム」に合致しない作品を批判した。しかし、英文学者でもあり、漢籍にも造詣が深い漱石先生は、彼らよりはるかに広い範囲の文芸に親しんでいた。だから、「自然主義」の作品を否定はしないけれど、「自然主義」の作品だけがすばらしいという偏狭な考え方は受け入れなかった。それは、漱石先生がいろんなstyleのすぐれた作品を実際に味わっていたからである。
漱石先生が朝日新聞に就職する前の最初期の小説、「吾輩は猫である」「坊っちゃん」から「漾虚集」に収められた短編を読むと、一作一作ごとちがった読んだことがないようなstyleで書かれていて、漱石先生が真の意味での前衛小説家だったことがよくわかる。細野さんの言葉を借りれば、まさに「チャンキー」な小説群である。
そして、結局のところその時代の小説家のなかで漱石先生がいちばん古びない小説を残すことができた。
半端な知識によって人は「イズムに支配」されてしまう。それを突き抜けた教養に昇華させることで、自由な境地が広がるのだろう。

トロピカルダンディー(紙ジャケット仕様)

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泰安洋行(紙ジャケット仕様)

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はらいそ

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吾輩は猫である (岩波文庫)

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坊っちゃん (岩波文庫)

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倫敦塔・幻影(まぼろし)の盾 他5篇 (岩波文庫)

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