多面的な観点から歴史を見直す:加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」

加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」を読み終わった。ここ数年間で読んだもののうち、もっとも目から鱗が落ちた本だった。
最近、日本の歴史に関する本を読みながら、あまりにも日本の為政者の観点に偏っていると思うことが多かった。
例えば、幕末から明治維新にかけての歴史を読んでいると、まるでMatthew Perryが突然来航して天地がひっくり返ったように書かれている。考えてみるとさまざまな疑問が浮かぶ。なぜ合衆国なのだろうか、なぜ19世紀中頃という時期だったのだろうか。
日本の指導者層は阿片戦争で清が英国に敗れたことに危機感を覚えたと言われることが多い。しかし、実際に開国を要求して来航したのは英国ではなく合衆国だった。また、1840年阿片戦争と1853年の黒船の来航が関係あるとすれば、どのような関係だったのか。
このような疑問に日本の歴史書が答えることほとんどない。だから最近は日本の読者を意識せずに英語で書かれた歴史関係の本を読むようにしていた。日本の為政者の観点が誤りで、海外の歴史書の観点が正しいということではないが、より多面的な観点で歴史を見直すことで理解が深まることは間違いない。
「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」は、日清戦争から太平洋戦争まで、日本がなぜ戦争を選択したのか、その経緯について為政者の観点に限らず、日本の一般国民、諸外国の観点に目を配りながら書かれた本である。複数の観点を考慮しているから単純な筋書きに収斂することはなく、歴史の複雑さをそのまま提示していおり、読者に考えることを要求する興味深い本である。
これまで私が知らなかった、想像もしたことがなかった事実も示されていた。
満洲事変、日中戦争、太平洋戦争にかけて、明治憲法における統帥権独立という規定が軍部の独走を招いたということは知っていた。しかし、そもそも明治憲法を起草するときになぜ統帥権を独立させるという設計になっているのか考えたこともなかった。この本の序章で、西南の役などを経験した山県有朋自由民権運動が軍に及ばないように配慮した結果、統帥権を独立させることになったという事実が紹介されている。この山県有朋の配慮が、昭和に入ると軍部が政治化し、それを政府が統制できなくなるという結果を招く。制度設計は難しい。
明治時代の国会は納税額で選挙権が制限されていた。その結果、国会議員の多くは地租を納税していた地主層を支持母体とすることとなった。彼らは、増税につながる政策には反対した。軍備増大にも反対し、政府は苦慮することになる。日露戦争の時、戦費調達のためさまざまな増税が行われる。地租以外の税も課される。その結果、納税額で制限されていた選挙権を持つ国民が増大したのだという。地主層以外の商工業者、彼らは軍備増大が利益に結びつく、が新たな有権者として登場する。
これに限らず、日清戦争から太平洋戦争まで、西洋諸国、中国、韓国などからそれぞれの戦争がどのように見られていたのか紹介される。東アジアにおいて、日本と中国が一貫して競合関係にあること、また、韓国が中国よりの政策をとることなど、歴史的に見ると納得できる。
この本は、さまざまな人が良書として紹介しているが、実際良書だった。
高校生を対象とした授業をもとに書かれているが、決して入門書ではない。この時期の歴史的経緯の基礎的な知識があることが前提となっているから、ある程度読者を選ぶ本ではある。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ