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「わたし」を見失わないために:ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」を読んで

ヴィクトール・E・フランクル夜と霧」を読んだ。
心理学者である著者は、第二次世界大戦中、ナチスによる強制収容所に収容された。この本は、その経験を心理学の立場から記録しようとしたものである。
強制収容所での生活は、苦痛と飢餓と暴力と死に満ちている。そしてなによりも、自分の将来を自分でコントロールする力を完全に奪われてしまう。そのような状況が続くことで、被収容者には、自分の心を守るために「感情の消滅や鈍麻、内面の冷淡さと無関心」という心理的反応が生じるという。
「収容所で被収容者を打ちひしぎ、ほとんどの人の内面生活を幼稚なレベルにまで突き落とし、被収容者を意志などもたない、運命や監視兵の気まぐれの餌食とし、ついにはみずから運命をその手つかむこと、つまり決断をくだすことをしりごみさせるに至る」という。そして、「自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所内で破綻した。」
以下、破綻してしまった人たちに関するフランクルの叙述を引用しよう。

 ふつう、それはこのように始まった。ある日、居住棟で、被収容者が横たわったまま動こうとしなくなる。着替えることも、洗面に行くことも、点呼場に出ることもしない。どう働きかけても効果はない。彼はもうなにも恐れない。頼んでも、脅しても、叩いても、すべては徒労だ。ただもう横たわったきり、ぴくりとも動かない。この「発症」を引き起こしたのがなんらかの病気である場合は、彼は診療棟につれて行かれることや処置されることを拒否する。彼は自分を放棄したのだ。

たしかに強制収容所の環境、そこでの経験は極端なものである。しかし、本質的なことは日常生活にも起こりうるように見える。自分のうつ病での経験を振り返ってみると、「自分の未来をもはや信じることができな」い状態になり、まさに、「感情の消滅や鈍麻、内面の冷淡さと無関心」という心理的反応が生じていた。ある種自分を放棄した状態に陥り、世界は苦痛に満ちているように感じられていた。強制収容所の環境に耐えた人たちと比べれば私は弱すぎるけれど、うつ病になった瞬間は、私の主観では、この日常が強制収容所のように苦痛に満ちた世界に見えていた。
しかし、そのような強制収容所のなかでも「感情の消滅を克服し、あるいは感情の暴走を抑えていた人や、最後に残された精神の自由、つまり周囲はどうあれ「わたし」を見失わなかった英雄的な人の例はぽつぽつ見受けられた。一見どうにもならない極限状態でも、やはりそういったことはあったのだ。」
その分かれ目は「人間の独自性、つまり精神の自由などいつでも奪えるのだと威嚇し、自由も尊厳も放棄して外的な条件に弄ばれるたんなるモノとなりはて、「典型的な」被収容者へと焼き直されたほうが身のためだと誘惑する環境の力の前にひざまずいて堕落に甘んずるか、あるいは拒否するか、という決断だ。」
フランクルは、強制収容所という環境のなかでそのような決断を維持し続けるためには、次にように考えていたという。

 具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、たった一度だけ課される責務としなければならないだろう。人間は苦しみと向きあい、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識まで到達しなければならない。だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。
 強制収容所にいたわたしたちにとって、こうしたすべてはけっして現実離れした思弁ではなかった。わたしたちにとってこのように考えることは、たったひとつ残された頼みの綱だった。それは、生き延びる見込みなど皆無のときにわたしたちを絶望から踏みとどまらせる、唯一の考えだったのだ。

一見、哲学的で「高尚」な考えのようにも思えるけれど、強制収容所のなかでは「けっして現実離れした思弁ではなかった」という。
おそらく、このような考えは、強制収容所のなかだけではなく、日常生活においても「けっして現実離れした思弁ではな」い。ブッダはこの世界の本質を「一切皆苦」と言っている。本質的には、この強制収容所の中と日常生活は同じだと指摘しているのだと思う。そして、「一切皆苦」である世界のなかで生きるためにも、このような思弁は「たったひとつ残された頼みの綱」なのだろう。
この本の末尾の近くで、フランクルは「収容所監視者の心理」についても触れている。
「収容所の監視兵のなかには、厳密に臨床的な意味で強度のサディストがいた…収容所の監視者の多くが、収容所内で繰り広げられるありとあらゆる嗜虐行為を長年、見慣れてしまったために…すっかり鈍感になってた…進んでサディズムに加担はしなかった。しかし、それがすべてだ。彼らはほかの連中のサディズムになんら口をはさまなかった」という。
その一方で「収容所の監視者のなかにも役割から逸脱するものはいた」という。「収容所監視者だということ、あるいは逆に被収容者だということだけでは、ひとりの人間についてなにも語ったことにはならないということだ。人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。」
もし、私自身が強制収容所に入れらたら「人間らしく」いられるのだろうかと考える。そして、また、収容所監視者になったとしたら、やはり「人間らしく」いられるのだろうかと考える。
うつ病の経験を語る時、あたかも自分が被害者であると主張しているように見えるかもしれない。しかし、告白すると、かつて私がプロジェクトリーダーとして働いていたときうつ病になってしまったメンバーがおり、今思い返せば彼に対して「人間らしく」接することをしていなかったことを告白しなければならない。「進んでサディズムに加担はしなかった。しかし、それがすべてだ」ったと思う。
程度の差はあるけれど、日常生活のさまざまなところに強制収容所はあり、あるときは収容者になり、あるときは監視者になっているのだと思う。強制収容所のなかで「人間らしか」った人たちは、極端な環境のなかで急に「人間らしく」なったわけではないだろう。おそらくは、日常生活のなかから、めだたない形で「人間らしく」に生きて、それが強制収容所の中で宝石のように輝きだしたのだろう。

夜と霧 新版

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