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サルトルによるノーベル文学賞辞退声明の和訳

 過去にノーベル賞を辞退した人たち

今回のノーベル文学賞ボブ・ディランへの授与に関するニュースを見て、そういえば過去にノーベル賞を辞退した人はいるのだろうかと思い、検索してみたところ、Wikipediaにジャン=ポール・サルトル、レ・ドゥク・ト、ゲルハルト・ドーマクの三名が辞退したとの記述があった。

これまでにノーベル賞の受賞を辞退したのは、ジャン=ポール・サルトル(1964年文学賞辞退)、レ・ドゥク・ト(1973年平和賞辞退)、ゲルハルト・ドーマク(1939年生理学・医学賞辞退)の3人であるが、ドーマクはナチスの圧力で強制的に辞退させられたものであり、戦後の1947年に賞を受け取っているため、最終的に受け取らなかったのは前者2名である。

ノーベル賞 - Wikipedia

 別のソースでは、ボリス・パステルナークも受賞を拒否した(を強いられた)という。

ドクトル・ジバゴ』を記したパステルナークは、サルトルとは事情が異なり、当時のソ連の圧力により、受賞を拒否せざるを得ない状況に。後に遺族が賞を受け取りました。

spotlight-media.jp

サルトルノーベル賞を辞退した理由

パステルナークは自発的な辞退、拒否ではないから、ディランとは比較できないだろう。そこで、サルトルの辞退の理由についてさらに検索してみたところ、ノーベル賞を辞退したときにサルトルが出した声明が見つかった。 

この声明によると、ノーベル賞の辞退には、個人的な理由と客観的な理由の二つがあるという。

彼の作家としての信条として、ノーベル賞に限らず公的な賞は辞退することにしているという(レジオン・ドヌール勲章も辞退しているとのこと)。作家は、あくまでも一個人として書いた文章のみを手段として行動すべきであり、賞を受賞することは読者に無用なプレッシャーを与え、特定の組織に関与することになってしまうとの考えからのようだ。

また、客観的な理由として、自分は社会主義、東側陣営を支持しているが、ノーベル賞を「ブルジョア的」とする見方があり、ノーベル賞もそれに影響されているからだという。例えば、ノーベル文学賞は、西側の作家か東側で体制に抵抗している作家のみが受賞していることを指摘している。

あと、最後に賞金について率直なコメントが書かれている。まとまった金額の賞金を貰えれば、価値があると考えている運動の支援に使える、しかし、受賞を拒否すればその支援ができなくなる、というジレンマに苦しんだという。しかし、結局のところ、賞金のために自分の信条を曲げてまで受賞することはないと考えたという。

www.nybooks.com

内示をせずにノーベル賞を授与することの危険性

ディランがノーベル文学賞に選ばれたというニュースを聞いた時、まっさきにノーベル賞って受賞者に内示をして受諾の意志を確認するのかな、と疑問に思った。このサルトルの声明を読むと、受諾の意思確認はしていない、ということがわかる。

サルトルは、ル・モンド紙で自分がノーベル文学賞の有力候補になっているという記事を読み、選考された場合辞退する旨を書いた手紙を送ったが、行き違いになってしまったという。

サルトルボブ・ディランは、個人的な信条で辞退したり無視したりしているので、個人的な問題といえば個人的な問題である。しかし、今後、サルマン・ラシュディノーベル文学賞に選ばれた場合、アカデミーだけでなく、ラシュディ自身にも危害が及ぶ可能性が高まるから、受諾の意志の確認なく授与することに問題があるように思う。

 以下に、サルトルの声明を和訳しようと思う。英訳からの重訳でもあり、また私の英語の能力の制約から不正確なところや読みにくいところもあるけれど、なかなか興味深いことが書かれている。これを読むと、ディランもなんらかなの形、声明、文章でなければ歌でもよいから、ノーベル賞に対する反応を示してほしいなと思った。

ジャン=ポール・サルトル(リチャード・ハワード訳)1967/12/17発行(和訳)

ジャン=ポール・サルトルは、10月22日にスウェーデンの記者に対して発表した声明のなかで、ノーベル文学賞の辞退について説明した。その声明は、サルトルが認めたフランス語訳でル・モンド紙に掲載された。以下の英訳はリチャード・ハワードによるものである。

ノーベル賞が授与され、私が辞退した出来事が、スキャンダルのようなものになってしまったことを非常に残念に思っています。進行していたことが私に十分伝えられていなかったことが原因でした。スェーデン・アカデミーの選考が私に傾きつつあるがまだ決定には至っていない、とのスェーデン特派員のコラムが10月15日付けフィガロ紙文芸欄に掲載されたのを目にして、アカデミー宛に手紙を書き、翌日発送しました。これで問題は解決し、これ以上の議論は起きないと思っていました。

その時は、ノーベル賞が受賞者の意向を確認せずに賞を授与するとは知らず、今回の出来事を防ぐ余裕があるに違いないと思っていました。しかし、今は、スェーデン・アカデミーの決定を覆せないということは、理解しています。

受賞を辞退する理由は、アカデミー宛の手紙のなかで説明したとおり、スェーデン・アカデミーにもノーベル賞そのものにも関係ありません。手紙の中に、個人的な理由と客観的な理由の二つについて書きました。

個人的な理由は以下の通りです。私の辞退は今回限りのジェスチャーではなく、公的な表彰は常に辞退しています。戦争が終わった後の1945年にレジオン・ドヌール勲章を授与されたとき、私は政府を支持していましたが、辞退しました。同様に、数人の友人に勧められましたが、コレージュ・ド・フランスに入ろうとしたことはありません。

この方針は、私の著述業に関する考えに基づいています。ある政治的、社会的ないし文学的な立場をとる作家は、自分自身の文章のみを手段として行動すべきです。作家が受賞した表彰は、私が望ましくないと考えるプレッシャーを読者に与えます。私が自分について「ジャン=ポール・サルトル」と署名することと、「ノーベル賞受賞者ジャン=ポール・サルトル」と署名することは、同じことではありません。

表彰を受け入れた作家は、同時に、表彰した組織、団体と関係することになります。私のベネズエラ革命党への共感は個人的なものですが、もしノーベル賞受賞者としてベネズエラ人の抵抗を擁護すれば、そのことを組織としてのノーベル賞全体に関係させることになります。

それゆえ作家は自分自身を組織に転化させることを拒否しなければなりません。今回のように最も名誉な状況においてでもです。

もちろん、この姿勢は完全に私個人のものです。これまでの受賞者への批判をまったく意味していません。光栄にも知り合うことができた受賞者の方々に対しては、深い敬意、敬愛を持っています。

客観的な理由は以下のとおりです。今日、文化的な戦線で起こりうる唯一の戦いは、東西の二つの文化の平和的な共存を求めた戦いです。私は、お互いを受け入れなければならないと言いたいのではありません。二つの文化の対立は衝突という形態を取らざるを得ないことはわかっています。しかし、この対立は、組織の干渉なく、純粋に個人の間、文化の間で起きなければなりません。

私自身、二つの文化の矛盾に深く影響されています。私はこの矛盾から成り立っているといってもいいでしょう。私は社会主義と東側陣営と呼ばれているものに共感していることを否定できません。しかし、私はブルジョアの家庭、文化に生まれ、育ちました。このことで、私は二つの文化を近づけようとするすべての人々と協力できるようになりました。それでもなお、当然ながら、私の望みは「勝つべき人が勝つ」ことです。勝つべき人とは、社会主義です。

このことが文化的な権威からの表彰を受けられない理由です。なかんずく、東側ではなく、西側の権威からは、たとえその存在に共感していても。また、社会主義陣営に共感しているといっても、誰かが私を表彰したいと思ったとしても、例えば、レーニン勲章は受け取れません。

ノーベル賞それ自体が西側陣営の文学賞ではないことはわかっていますが、ノーベル賞は西側陣営で成り立っていますし、さまざまな出来事はスウェーデン・アカデミーのメンバーの領域外で起きています。それゆえ、現在の状況下では、ノーベル賞は、客観的に見て西側か東側の反逆者の作家にのみ授与されています。例えば、ネルーダには授与されていません。彼は南アメリカの最も優れた詩人のひとりです。明らかにノーベル賞にふさわしいにもかかわらず、ルイス・アラゴンに授与されないのはなぜでしょうか。ショーロホフではなく、パステルナークにノーベル賞が授与され、ノーベル賞を受賞した作品が国内で出版を禁じられたもののみということを残念に思います。他の方面についても同じような姿勢でバランスが決められています。アルジェリアの戦争の間に「121宣言」にサインした時であれば、私はノーベル賞を受けたでしょう。なぜなら、私だけではなく、私たちの自由を求めた戦いにも栄誉が与えられたからです。しかし、そのようにはなりませんでした。戦いが終わりはじめてノーベル賞は私に授与されました。

スェーデン・アカデミーの動機について語るならば、表彰は自由から成り立っています。その言葉は、さまざまな解釈ができます。西側陣営においては、「自由」とは一般的な自由のみが意味されます。私は、個人的には「自由」によって、一足の靴と満腹できる食事以上の権利からなる確固たる自由のことを意味しています。ノーベル賞を受けるよりも辞退する方が安全なように思えます。もしノーベル賞を受ければ、私自身を「客観的な名誉回復」と呼ぶであろうものに捧げることになるでしょう。フィガロ紙の文芸欄の記事には、「物議をかもした政治的な過去は問題とならなかった」と書かれていました。この記事がアカデミーの見解ではないことはわかっていますが、私が賞を受けることが、右翼陣営からどのように解釈されるかは明らかです。私が同志たちに過去の過ちを認める用意ができているとしても、この「物議をかもした政治的な過去」は今でも過去のものにはなっていません。

ノーベル賞が「ブルジョア」の賞だとは言いませんが、私がよく知っている特定の人々から避けようもなくブルジョア的解釈がなされるでしょう。

最後に、賞金の問題を話しましょう:アカデミーが受賞者に、栄誉とともにまとまった賞金を授与するということは非常な重荷になり、この問題は私を苦しめます。賞と賞金の両方を受け取ることで、私が重要だと思う組織や運動を支援することができます。ロンドンのアパルトヘイト協会を思い浮かべています。さもなければ、寛大な方針の賞を辞退することで、そのような運動が切実に必要とする支援が奪われます。しかし、これは誤った問題の立て方だと確信しています。西側にも東側にも取り込まれないことを望んでいるために、私は25万クラウンを諦めます。しかし、25万クラウンのために自分自身と全ての同志と共有している原則を捨てることはできません。

賞を授与され、かつ辞退せざるを得ないことは、私にとって非常な苦痛です。

スェーデン市民のみなさんへの共感のメッセージでこの宣言を締めくくりたいと思います。