残りの人生で読める本

来月で50歳になる

人生を10年区切りで考えることに意味があるかどうかよくわからないけれど、今度の誕生日には大きな感慨がある。

40歳になるまでは、夢中で生きていて人生を振り返って考える、などということはしたことがなかったから、20代、30代が終わるということにとりたてて感慨はなかった。

40代になり、さまざまな障害にぶつかり、それなりに挫折も経験した。このまま「夢中で生きる」だけではダメだと悟り、40代後半は自覚的に生活の仕方を変えてきた。新しい生活もようやく形ができてきて、50代になる準備が間に合ったと思う。

50代になると、人生の折り返し点も大きく超えていて、もう残り時間も限られている、ということを強く意識している。だから、ムダな時間は使いたくない。自分の好きなものに囲まれて、シンプルな生活をしたいと思っている。

残りの人生で読める本

例えば、残りの人生で読める本の数を考えてみる。

本格的に本を読めるのは20年ぐらいだろう。年間100冊読むとして、2000冊。もう、あと2000冊しか読めないのである。英語や中国語で読みたい本もあるけれど、日本語で読むより時間がかかるから、実際に読める本の数は少なくなる。

そう考えると、ムダな読書はしたくない、と思う。少なくとも、賞味期限が10年ぐらい、理想的には100年以上ある本を読みたい。賞味期限が1年も持たないようなバズワードがテーマの本を読む余裕はない。「カラマーゾフの兄弟」だって読んでないし、「純粋理性批判」もまだ読んでいない。

本の断捨離、生活の断捨離

毎年、不要な本をブックオフに送り、その売上を寄付するシステムに参加している。そのとき、手元に置いておく本はもう一度読むことがある、という基準で選抜している。

今年は、残りの人生で再読する価値のある本かどうか、真剣に考えて寄付する本を選んでいる。そのうち読もう、と思っていた積読本も多かったけれど、ああ、これは今この人生ではそこまでたどり着かない、と割り切って寄付することにした。例えば、源氏物語は賞味期限が非常に長い本だけれど、残りの人生のなかで熟読玩味する時間は割けないと思った。そうして厳選した本だけが並んでいる本棚を見ていると、なにか清々しく、心が軽くなったような気がする。

本だけではなく、自分の身の回りのものも断捨離している。PCだけが載っているシンプルな机に向かって、50代の自分を想像している。