ドナルド・トランプとアンドリュー・ジャクソン:反エリートの民主政治、矛盾に満ちた発言

ドナルド・トランプの同時代性とアメリカ性

ホワイトハウスの引き渡しのとき、トランプ夫妻とオバマ夫妻が並んでいる写真を見て、この二つのカップルは実に対照的だけれども、それぞれきわめてアメリカ的でもあると思った。

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ドナルド・トランプの当選については、イギリスのEU離脱やヨーロッパでの右翼政党の勢力拡大、フィリピンのドゥテルテ大統領の就任など、同時代的な共通性が指摘されることが多い。もちろん、そういう要素はあるし、ひとつの時代の転換点の象徴だと思う。

その一方で、トランプ大統領はきわめてアメリカ的で、過去の大統領とも共通点がある。レーガン大統領との比較されることもあるが、第7代アンドリュー・ジャクソン大統領と共通性が高いと思う。彼もアメリカの政治のひとつの大きな転換点を象徴する大統領だった。

アンドリュー・ジャクソン大統領とジャクソニアン・デモクラシー

アンドリュー・ジャクソン1829年に大統領に就任した。彼以前の六人の大統領はエリートでインテリだったが、彼は貧しいスコットランド移民の息子で、十分な教育を受けていなかった。彼は軍人としてキャリアをつみ、1812年に始まった米英戦争の英雄として有名になることで、政治家としての足がかりを得る。また、ネイティブ・アメリカン(当時の呼び方に習えばインディアン)との戦いで、大量虐殺を行っていることでも知られている。

アンドリュー・ジャクソンが大統領に選出された背景として、選挙権の資産の制限がなくなり普通選挙が広がっていたことがある(女性、黒人には選挙権はなかったが)。アンドリュー・ジャクソンは粗野で難しい言葉で語らないと考えられていたが、「高尚な」エリート、インテリの政治家に比べ新たに選挙権を得た選挙民からの人気が高かった。

彼の大統領在職時代に、大統領の権限の強化が進み、スポイルズ・システムが導入された。

アメリカ合衆国憲法は厳格な三権分立制で、議会の権限が強く大統領の権限は制限されていた。現在でも、議院内閣制の国に比べれば大統領の権限は制限されているといえるだろう。アンドリュー・ジャクソンは、第二国立銀行の問題に関して、これまで大統領が拒否権を発動するのは、明らかに憲法に反する時に限られるという慣例を覆し、大統領の権限拡大を進めた。第二国立銀行の廃止などの彼の経済政策は、結果としては恐慌をもたらしたと評価されている。

スポイルズ・システムとは、大統領が多くの公職者を直接任命する制度である。現代のアメリカでも大統領の交代に伴ない、多くの公職者が交代する。これは、公職を長年勤めることによる腐敗を防ぐという名目があった。もちろん、選挙において自らの支持者を報いるという効果もある。また、大前提として、公職は(大統領も含め)専門家ではない一般市民が勤めうるというアメリカに根付いた観念が基礎となっている。

また、軍人時代にネイティブ・アメリカンと戦っていた経験があり、インディアンの強制移住を進めた。当然ながら、現代の目から見ればきわめて差別的な政策である。

このような選挙権の拡大に基礎をおいた反エリートの民主政治はジャクソニアン・デモクラシーと呼ばれている。

ドナルド・トランプと反ワシントン、反エリート

 アンドリュー・ジャクソンは毀誉褒貶あるけれど、エリートによる民主政治から、普通選挙に基づくあたらしい民主政治を切り開いたことについては一定の評価を得ている(と思う)。彼以降、「ログ・キャビンに生まれ育った」ことを売りにする政治家が続き、その最大の存在がエイブラハム・リンカーンである。

反エリート感情と公職は一般市民が勤めうる、むしろ専門家より一般市民が勤めたほうが望ましいという観念は、行政が複雑化した現在でもアメリカに根付いているように見える。例えば、裁判において専門家として裁判官よりも一般市民による陪審に判決が委ねられているのもその一例だろう。また、大統領に当選するには、ワシントンでの政治のキャリアがマイナスに働くことが多い。権威に結びついたインテリゲンチャへの批判、嫌悪である「反知性主義」もこの観念と強く結びついている。

ビル・クリントンバラク・オバマもワシントンの政治への挑戦者として大統領に当選した。ドナルド・トランプは、ジョージ・W・ブッシュバラク・オバマの二人の政治対してアンチなのだが「アンチ」として登場してきたという意味では、ビル・クリントンバラク・オバマと共通している。そして、冒頭の写真の話に戻るが、バラク・オバマドナルド・トランプはきわめて対照的でありながら、ふたりともアメリカ的である原因のひとつはここにあるのだろうと思う。

バラク・オバマは明らかにインテリゲンチャである。しかし、彼の出自によって、存在自体がアメリカの権力の中枢にあるWASPへの批判になりうる。だから、あえて粗野な振る舞いをする必要もない。また、粗野であることで政敵から批判を招くことを避けるという意味もある。これは、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアが気高いこと共通していると思う。

一方、ドナルド・トランプはニューヨーク出身の成功した不動産業の父を持っている。その彼が反エリートという立ち位置であるためには、あえて粗野な振る舞いをする必要があるということもあるのだろう。アンドリュー・ジャクソンの粗野さは生まれ育ったものだけれども、ドナルド・トランプの粗野さは一種つくられた演技という印象がある。また、逆に、彼はいくら粗野な態度であっても、白人ということにはゆるぎがない。

矛盾していることを気にしないドナルド・トランプ

私は、「近代人」として、首尾一貫していたい、という欲求がある。過去の行動や発言と、明らかに矛盾する行動、発言をすることには抵抗感がある。

しかし、ドナルド・トランプは、そのような抵抗感はないように見える。その時その時で、都合のよい行動、発言をする。おそらく、彼のいう"deal(取引)"をうまくするためには、一貫性があると相手に予測されてしまうため、矛盾している方が積極的に好ましいという判断があるのだと思う。もちろん、首尾一貫していなければ、信頼されない、という副作用があるけれど、ドナルド・トランプにとっては"deal"において有利ということのほうが重要なのだろうと思う。

 今回、大統領就任式で集まった人の数が、オバマ・大統領の一回目の就任式より多いと主張している。これは明らかに事実と矛盾する。事実と矛盾するけれど、あらゆる機会を捉えて自分のとって不利な情報に反論することの方が、将来のマスメディアとの関係のためには好ましいと考えているのだろう。おそらく、過去のドナルド・トランプが関係してきた事業に関する発表において、そのような事実と矛盾する発言をし続けてきたに違いない。

だから、彼を見るときには、事実や過去の行動、発言との矛盾を避けようとする、という仮定を置いてはいけない、ということなのだろう。彼にとって一貫しているのは"deal"に勝とうとすることだけで、それ以外はすべて手段だと考えているに違いない。

好もうと好まざると、少なくとも4年間はそのような米国大統領と付き合っていく必要がある。