前近代と近代の狭間:谷崎潤一郎「細雪」雪子と妙子

日本近代文学の成立と文明開化の成果

以前も何回か書いたことがあるけれど、三十代に入ってから約十年かけて、日本近代文学をその成立(二葉亭四迷)から第三の新人小島信夫庄野潤三)まで順を追って読み進めたことがある。

個々の小説の質についてはさまざまだけれど、系統的に読み進んでいておもしろかったのは、大正の終わり、昭和の初め頃までだった。西洋から輸入された「文学」「小説」という概念と格闘して、日本語による近代文学やそれを書くための言葉が成立するまでの試行錯誤のプロセスが興味深く、いったんそれが成立した後は、おもしろい作品もあるけれどジャンルとしての「日本近代文学」にあまり興味が持てなくなった。やや惰性で第三の新人まで読み進めたけれど、これ以降は系統的に読む必要はなく、興味がある作家の作品を拾い読みすれば良いと思っている。

「日本近代文学」を作り上げた人たちは当然ながら外国語が堪能で、特にごく初期の作家たちは高学歴である。坪内逍遥は小説も書いているが学者といった方が正確だと思うし、二葉亭四迷はロシア語が堪能だった。森鴎外は言うまでもなく、夏目漱石はもともと英文学者である。あまり外国語と縁のないように見える尾崎紅葉帝国大学に在学したことがあり、ヨーロッパの小説をよく読み、アイデアを得ていたという。

 詳しくは以下のエントリーに譲るが、「言文一致体」は、話し言葉と書き言葉を一致させるためではなく、西洋の言語を日本語に翻訳できる文体として成立したものだと考えている。その証拠に「二葉亭四迷の初期の小説(例えば「浮雲」と「あひびき」の翻訳を読み比べると、現代の目から見ると「あひびき」の翻訳の方がはるかに自然に感じられる。」

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日本近代文学の成立をたどることで、明治以降の日本が近代化(当時の言葉で言えば「文明開化」)にいかに苦闘していたか、そのプロセスはまさにワン・アンド・オンリーのもので、プラス面もマイナス面も含め、独特の成果を産んだことがわかる。

日本近代文学の頂点としての谷崎潤一郎細雪

日本近代文学を「文明開化」のプロセスとして捉えた時、谷崎潤一郎細雪」が日本文学の頂点だと(勝手に)考えている(もちろん、異論も多いだろうけれど)。

前述のように、明治以降日本語で書かれた小説のなかには、「細雪」以外にもすぐれた小説は多いだろうけれど、大正、昭和初期以降は、もはや「文明開化」の苦闘というものは感じられないし、現代ではむしろ「日本近代文学」を超えて「世界文学」へ参加することの方が課題となっているだろう。

細雪」は日本近代文学の成立のプロセスの終点に位置し、西洋の近代文学を基礎とし、西洋の言語の翻訳を通じて成立した近代日本語を用い、しかし、それだけではない日本の物語文学の影響もあり、日本の前近代と近代がひとつの家庭、社会に混じり合っていた最後の時代を詳細に描写していて興味が尽きない。

 

細雪 (上) (新潮文庫)

細雪 (上) (新潮文庫)

 

 

細雪 (中) (新潮文庫)

細雪 (中) (新潮文庫)

 

 

細雪 (下) (新潮文庫)

細雪 (下) (新潮文庫)

 

 前近代を代表する雪子

細雪」は阪神間に暮らす蒔岡家の四姉妹、特に三女の雪子の縁談と跳ね返りの四女の妙子を中心としている。雪子は近代的な要素が薄い前近代の日本を代表しており、それと対照的な妙子は近代化を代表している。「細雪」がすばらしいのは、雪子を古き良き日本女性として、また、妙子を近代的な女性として賛美しているわけでもなく、両者を客観的に描写していることだ。

私から見ると、妙子は理解しやすいけれど、雪子の行動、言動は、私の理解を超えているところがあり、謎めいて見える。それゆえ、好奇心がそそられる。私自身、自分が特に近代化されているという自覚はあまりないけれど、雪子を見ていると、それでもずいぶん近代的な意識を持っていると思わされる。

近代の学校教育では、軍隊や工場労働者としての「近代的」な生活態度、勤労観といったものが叩き込まれる。私は自分のことを勤勉と考えたことはないけれど、仕事や生活を計画的に進め、必要な成果を必要な〆切に間に合わせることが望ましいことだという観念はある(それがいつも実現する訳ではないが)。また、自分の意見は明示的に示したほうがよく、できうる限り自立した生活を営みたいと考えている。

しかし、雪子には、そのような価値観がまったくない。縁談が持ち込まれ、お見合いをする。相手が気に入ったかどうか、なかなか態度に示さない。お見合いの日程を決めるにも、お断りするかどうかも、すぐに返事することはなく、仲人に急かされると反感を感じる。もちろん、自分が自立した生活を営むということは想像の外で、まったくの受け身の生活をしている。

子供の面倒を見ることが得意な雪子

雪子は徹頭徹尾受け身の存在だけれども、まったくの無能力者ということではない。特に、子供の面倒を見ることが得意である。

子供の面倒を見ることが大変になるのは、大人の側になにかしなければならない予定や計画があるけれど、子供は予定や計画通りに動けない、動かない、ということにあるのだと思う。ある決まった時間までに決まった場所に行かなければならない「大人の事情」があるけれど、子供はぐずってその通りに動かない。「大人の事情」と「子供の気持ち」がすれ違って、お互いほとほと疲弊してしまう。

予定や計画や自分の意志がない雪子にとって「大人の事情」は存在しない。だから、子供の面倒を見るときは、ひたすら子供の気持ちに委ねる。だから、子供はぐずることなく、雪子になつく。

近代化されていない雪子は、学校によって一定の規律を叩き込まれた大人と違う、近代社会から見ると子供的存在といえる。だから、子供との折り合いがよいとも言える。もちろん、恵まれた家庭に生まれた雪子だからこそ、近代化しなくても近代社会から守られて生きることができる。しかし、そのような境遇になければ、近代社会で生きるためにはいやおうなしに近代性を受け入れ、近代社会の大人にならなければならない。

近代を相対化する日本近代文学と「細雪」、そして植民地文学

日本の近代化のプロセスの一環としての日本近代文学の成立の最後にあらわれる「細雪」に、その時代でもすでに珍しくなりつつあった前近代的な女性としての雪子と、同じ時代に近代的な女性として生きた妙子が対比して示されることで、日本の近代化がもたらしたもの、失ったものがよく見えてくる。

日本は政治的には植民地になっていなかったけれど、西洋を起源とした日本近代文学は、文化的には「植民地文学」といえるだろう。そして、その「植民地性」によって、近代を相対化する視線をもたらしている。

 外来のものとして近代を受け入れた国、地域は多い。日本近代文学はそういった国、地域のひとびとから共感得ることはできるのではないかと夢想することがある。私も世界の「植民地文学」を読んでいきたいと思っている。

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