「リッチな一族はそれぞれの仕方でリッチである」:Kevin Kwan "Crazy Rich Asian"

グローバリゼーションと華人華僑

このブログのなかでも、ここ数年、グローバリゼーションの歴史について追いかけている、ということ書いたことがある。

グローバリゼーションというと範囲が広すぎるので、暫定的に追いかけているテーマを絞り込んでいる。いまは、18世紀末から19世紀前半にかけて太平洋岸の北アメリカがグローバリゼーションに組み込まれていく歴史と、16世紀以降大航海時代にヨーロッパ人の到来によって東南アジアの華人華僑のネットワークが成立する歴史を追いかけている。

今日のこのエントリーでは、後者の華人華僑のテーマについて書こうと思う。

Kevin Kwan "Crazy Rich Asian"

去年の夏休み、アメリカオレゴン州ポートランドに旅行した(この旅行の目的のひとつは、上に書いた北アメリカ太平洋岸のグローバリゼーションの歴史の現場を訪問することだった)。ポートランドには、Powell's Booksという有名な書店があり、そこに平積みされていたKevin Kwain"Crazy Rich Asian"という本にピンときて衝動買いをした。なかなか読み進められなかったけれど、この正月休みに集中して、一気に読み終えた。

Powell’s Books | The World’s Largest Independent Bookstore

Crazy Rich Asians

Crazy Rich Asians

 

この本は、題名の通り、「クレイジー」なほどリッチな、華人華僑たちのコミュニティを物語である。

主人公は、ニューヨークの大学に勤める経済学の教授レイチェル・チューと、同じ大学の歴史学の教授ニック・ヤングのカップルである。レイチェルは貧しい中国人移民二世、ニックは(レイチェルに素性を隠していたけれど)シンガポールの「クレイジー・リッチ」な資産家の相続人である。

ふたりともニューヨークでは洗練されたインテリ同士のカップルとして付き合っている。シンガポールでニックの(これもまた「クレイジー・リッチ」な)親友の結婚式があり、それを機会にして、ニックはレイチェルをシンガポールに招待する。

ニックは、「クレイジー・リッチ」な資産家の相続人であり、彼の妻の座を狙う人には事欠かないし、また、彼の家族も将来の妻の候補の素性について彼らなりの価値観であげつらい、二人はさまざまな騒動に巻き込まれる。

この小説の筋立ては軽いメロドラマだが、そこで描写される「クレイジー・リッチ」な華人華僑たちの生活、考え方がじつに興味深い。

リッチな一族はそれぞれの仕方でリッチである

 トルストイアンナ・カレーニナ」の冒頭に「すべての幸福な家庭は互いに似ている。不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。 」とある。この"Crazy Rich Asian"に出てくる「クレイジー・リッチ」な華人華僑たちは、リッチのあり方が多様で、「それぞれの仕方でリッチ」である。

アンナ・カレーニナ〈上〉 (岩波文庫)

アンナ・カレーニナ〈上〉 (岩波文庫)

 

 彼らのリッチさの仕方は、主として、その一族がいつの時代にリッチになったかによって決まる。

主人公のニック・ヤングは、三世代前にはすでに「クレイジー・リッチ」になっており、一族は(集合住宅が主体で大きな邸宅を構えることが困難な)シンガポールに壮麗な邸宅を構えている。一族は純然たる資産家で自ら事業をすることはないし、自ら資産運用も行っていない。そのままで十分「クレイジー・リッチ」なため、資産を見せびらかすようなことはせず、ひと目につかないように洗練された生活を送っている。

19世紀に苦力として東南アジアに移民し、その後シンガポールで建設業として成功した一族は、いまだに勤勉であることに価値を見出し、一族で建設会社を経営している。儲かるチャンスは抜け目なく狙い、ブランド品には目がなく、金持ちであることは見せびらかしている。しかし、地に足がついた現実性もある。

外科医として成功し、セレブリティの一員となっているけれど、もともとの質素な家、生活ぶりを守っている。その息子は、父親が「貧乏くさい」生活をしていること、また、質素を旨とする考え方が気に入らず、より派手な生活をしたいと考えている一族もある。

シンガポールの資産家一族は、大陸出身のここ10年ぐらいで成り上がった一族を軽蔑している。一方、大陸出身の新しい「クレイジー・リッチ」な一族は、キッチュな、奇想天外な贅沢さを見せびらかす。

また、シンガポールでIT企業を起業し、香港、中国本土を忙しく行き来しながら、将来「クレイジー・リッチ」となることを目指している人もいる。

華人華僑の国際性

華人華僑たちのコミュニティは国境を超えて広がっている。

この小説の主人公はそれぞれ中国本土とシンガポールにルーツがあり、現在はニューヨークに住んでいる。彼らのコミュニティは、ロンドン、パリ、そして、シドニーやヴァンクーバーにも 広がっている。もちろん、クアラルンプール、香港、台湾、上海、深センにもつながりがある。

それぞれの都市をプライベートジェットで移動し、投資をし、事業を拡大し、買い物をし、リゾートを楽しむ。

ただ、"Crazy Rich Asian"には東京と北京は登場しない。「クレイジー・リッチ」な華人華僑にとって、東京や北京はあまり居心地のよいところではないのかもしれない。

「クレイジー・リッチ」ゆえの不幸

 この小説は「通俗的」なメロドラマではある。

しかし、「クレイジー・リッチ」な男性と、彼との結婚を夢見る女性の物語ではない。「クレイジー・リッチ」な資産家でありながら、地に足が付いた(down to earth)な女性を求める男性(ないし女性)と、自立した知的な女性(ないし男性)の物語である。

この二人の間の障害になるのは、主として男性(ないし女性)の「クレイジー・リッチ」さと、それに付随する「クレイジー」な人間関係にある。

ニックとレイチェルがニューヨークで大学の教員同士だったときには関係がうまく行っていたが、彼が「クレイジー・リッチ」であることが明らかになり、そのコミュニティの人たちが登場するにつれて、レイチェルは彼に付随する「クレイジー・リッチ」性がうとましくなってくる。そして、レイチェルから別れ話を切り出すことになる。

リッチな一族はそれぞれの仕方でリッチであり、時として、そのリッチさが不幸の源となることもある。