3/11の頃

 忘れられるはずがない、忘れてはならない記憶も薄らいでいく

今年も3月11日になった。

忘れられるはずがない、忘れてはならない、と思いながら、やはり時とともに記憶は確実に薄らいでいく。

その当時に書かれたブログのエントリーを読み返して当時の記憶を蘇らせようと思う。

超現実な世界と強迫観念とJ.G.バラード

東日本大震災福島第一原子力発電所事故が発生した時、ちょうどJ.G.バラードの自伝「人生の奇跡」を読んでいた。

テレビでは津波と被災地の惨状と福島第一原子力発電所の映像が延々と流され、最初はこの世のできごととはとても思えず、J.G.バラードの超現実的な世界のように思われた。自分が生きている世界とJ.G.バラードの小説世界がシンクロしたことが、いったいどんな意味があったのかは今でもよくわからない。シンクロすることによって何がしかの癒やしが得られたとも思わないし、なにか現実的に役立つことがあったとも思えない。しかし、超現実的な世界を描いた小説の現実的な力、のようなものを感じたことは確かだ。

J.G.バラードは、第二次大戦下の香港にイギリス人の子供として育ち、過酷な経験をして、そのことか彼に強迫観念を植え付けた。彼自身、そのことによって苦しみもしたが、一方でそれゆえ彼の小説群が書かれることになった。彼が強迫観念に苦しんだことには彼自身にとって価値があった、とまでは第三者の私には言えないけれど、私自身にとっては彼の小説群は大きな価値がある。

東日本大震災福島第一原子力発電所事故がもたらした苦しみは肯定できないけれど、何かを生み出している、そして、生み出していくのだ、と考えたい。

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人生の奇跡 J・G・バラード自伝 (キイ・ライブラリー)

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無力感と怒りと自分なりの社会貢献 

あまりに大きなできごとに、最初は無力感を感じ、そしてその次には怒りがやってきた。今思うと、3/11から1か月ぐらいのあいだはずいぶん情緒不安定だったと思う。

私は、積極的に社会に貢献しようと思って行動することはあまりないが、それでもこのときばかりは何か人に役立つことができないかと考えた。この時期、鉄道の運行状況が不安定で、前日の夕方になるまでどの路線が運行するのかわからなかった。しかも、それぞれの鉄道会社のウェブサイトに運行状況が日本語でアップロードされるだけで、それを英語でまとめて読めるサイトは存在しなかった。3/11のしばらく前に英語で書くブログは始めていたので、毎日交通の情報をまとめて翻訳する、という作業をしていた。

実際にどれだけ役立ったかはよくわからないが、ある程度のアクセス数があったから何がしかの貢献はできたのだろう、と考えることで、自分の無力感や怒りを鎮めていた。

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その次には諦観がやってきた

 交互に無力感と怒りに囚われる時期が過ぎ、その次には諦観がやってきた。

はっぴいえんど「風をあつめて」は、まだ都電が縦横無尽に走っていた時期の東京を描いた歌である。この歌を聴きながら、今ある東京もいずれ失われてしまうのだろう、と淡々と思うようになった。その気持をすなおにブログに書いたら、海外のひとからずいぶんペシミスティックな考え方だと驚かれた。

しかし、あの地震を経験した人たち、そして、東京の空襲、関東大震災、それ以前の数々の大災害や火災を経験した人たちは、どこか似たような諦観を共有しているのではないかと思う。

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この経験を共有するには

東日本大震災福島第一原子力発電所事故に関して書いたエントリーのうち、次の二つは想像以上に多くのページビューがあった。

ひとつは村上春樹のカタルニア国際賞でのスピーチ「非現実的な夢想家として」の英訳と、もうひとつは日本ははたして民主主義国家といえるのか、という疑問について書いたエントリーである。

3/11から数か月が経ち、まだ生々しい記憶はあるが、ある程度できごとを俯瞰できるようになった時期に書いたものである。今読み返しても手を加えようと思うところはない。

この時、この経験を共有しなければ、という気持ちが強くあったし、この文章を読み返すと、今もこの経験をより広く共有することが重要なのだ、と改めて思う。

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