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傲慢→否認→怒り→取引→抑鬱→受容(いまココ):TOEICと私

エリザベス・キューブラー=ロスの「死の受容のプロセス」

エリザベス・キューブラー=ロスという精神科医が、人間が自らの死期を悟ってから、死を受容するまでの感情の推移について、「キューブラー=ロスモデル」を提唱しているという。

  • 否認・隔離
    自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
  • 怒り
    なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
  • 取引
    なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
  • 抑うつ
    なにもできなくなる段階である。
  • 受容
    最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。

( エリザベス・キューブラー=ロス - Wikipediaから引用)

実際にどれほどの人がこのようなプロセスを経るのかわからないけれど、死に限らず、自分が認めたくない現実に直面したとき、同じような心理的なプロセスを経ることがあるのは実体験として理解できる。

傲慢→否認→怒り→取引→抑鬱→受容(いまココ):TOEICと私

ひょんな理由で来週の日曜日にTOEICを受験することになった。

自分自身がぜひともTOEICのスコアを必要としている状況ではないので、わりと気軽に考えていたところがあった。また、前回、旧方式のTOEICを受験した時に、望外の好成績だったので、今回、新方式に変わったといってもそれほど成績は落ちないだろうと楽観していた。今思えば、かなり傲慢だった。

今回のゴールデン・ウィークは旅行をしなかったので、比較的余裕があった。そこで、TOEICの問題集を試しに解いてみることにした。そうしたら、リスニングの問題は不正解が多く、リーディングは時間内に最後までたどり着かなかった。冷静に考えれば、前回のような成績は取れるはずがない状態なのだが、その事実を心理的に否認しようとしていた。たしかに前回受験の時は英語のブログを書いていた時期だったから、英語のインプットとアウトプットの量はいまとは比較にならないけれど、Podcastで英語の番組は熱心に聞いているからヒアリングは悪くなっていないはずだと思った。だから、この問題集は実際のテストよりかなり難しくなっていて、実際にTOEICを受験すれば成績は変わらないはずではないか、と考えた。これが否認の段階である。

しかし、実際の試験より多少は難易度が高いとしても、そのときの自分の成績はボロボロだった事実は否定しようがない。次は、自分に対して腹が立った。いまは中国語を学習しているからといって、英語だって手を抜くべきではなかったのではないか。さすがに周囲に怒りをぶつけることまではしなかったけれど、これが怒りの段階である。

試験まであと二週間しかないが、少しでも対策をしようと思い、書店に行き、薄くて小さくて、通勤途中でも勉強ができるTOEICの対策本を買い、少しのヒマを見つけたら、すかさず問題を解くようにした。言ってみれば、その対策本にすがっている状況で、これが取引の段階である。

仕事も比較的忙しい時期で、中国語も中国語検定3級を受験しようとしていたから、TOEICに全力投球もできない。そもそも準備の時間も足りない。そもそも自分は今、TOEICのスコアを必要としている訳じゃないので、準備する意味があるのだろうかと疑念にとらわれるようになった。これが抑鬱の段階である。

そして今は、もう少し客観的に考えられるようになった。TOEICは、正確ではないところもあるだろうけれど、現在の自分の英語の実力を評価することができる。おそらく、自分の得意、不得意がはっきりするはずだ。今は今の自分の実力を受け止めて、今後の英語学習に活かせばよいではないか。そして、試験対策の勉強も英語そのものの実力向上にも役に立つはずで、ムダにはならないだろう。これが受容の段階である。現在はこの段階である。

そして再び「受容のプロセス」が

今はTOEICに向けて比較的落ち着いた気持ちになっている。

しかし、なかば予想はしているとはいえ、受験後に自分の得点が送られてきたら、失望するだろう。そのとき、また、否認→怒り→取引→受容のプロセスを繰り返すのだろうと思う。

語学学習に限らず、日常生活で自分が望まない状況を受け入れるために、この受容のプロセスを際限なく繰り返している。いきなり受容できればいいけれど、おそらく、このプロセスを経ないわけには行かないのだろう。

「受容のプロセス」それ自体を受容する、ことが必要なのだろう。