世界史のなかの日本史:16世紀のグローバリゼーション

東洋文庫東インド会社とアジアの海賊」

先日、東洋文庫ミュージアムで開催されている「ハワイと南の島々」展を見に行った。

展示 - 東洋文庫ミュージアム INFO

そのとき、ミュージアムショップで気になった本「東インド会社とアジアの海賊」を衝動買いしたのだが、これが非常におもしろかった。

東インド会社とアジアの海賊

東インド会社とアジアの海賊

 

東洋文庫ミュージアムが改装されたあと最初の展覧会「東インド会社とアジアの海賊」を記念して開催されたシンポジウムの内容を書籍したものだという。16 ~17世紀のアジアにおける海賊を中心とした歴史を扱ったアンソロジーである。これまでも、オランダ東インド会社、イギリス東インド会社倭寇、東南アジアの交易、大航海時代などのテーマの本を読んできたけれど、この本ではじめて知る事実も多く、刺激的だった。

世界史のなかの日本史:グローバリゼーションの結果としての天下統一

古代から日本列島で展開されてきた歴史は、海外との関係に大きく影響され、さらに言えば、東アジアから地球全体に広がる関係の網目の一部を構成している。このことはわざわざ言うまでもないほど自明なことだと思うけれど、「日本史」を扱うとき、海外との関係が十分目が行き届かないことが多い。

例えば、戦国時代に天下統一が進む契機のひとつとして、鉄砲伝来がある。鉄砲によって戦国時代の戦争のあり方が大きく変化し、戦闘に決着がつきやすくなった。そう考えれば、日本の天下統一はグローバリゼーションの一部に位置づけられるできごとである。

ハワイにキャプテン・クックが来航したとき、ハワイ諸島は四人の君主が並立していたという。その後、カメハメハ一世は、鉄砲などの西洋のテクノロジーや西洋人の顧問を活用して西洋の戦闘法を取り入れることによって、ハワイ諸島を統一し、ハワイ王国を建国した。

グローバリゼーションという観点から見れば、日本の戦国時代の天下統一とカメハメハ一世のハワイ王国建国は、西洋との接触を契機とした国の統一、集権化という事例として比較することができる。

鉄砲伝来の背後にあるもの

鉄砲伝来を日本の側からだけ見ると、突如としてポルトガル船が漂着し、鉄砲という新しいテクノロジーが偶然伝えられたかのように見える。この本で紹介されている後期倭寇頭目、王直の生涯を見ると、それほど単純なできごとではないようだ。

ポルトガル船が種子島に漂着したのは、1542年か43年のできごとと言われている。この船に五峯と呼ばれる中国人が乗船していたという記録がある。この五峯という名は、王直の別名だという。

一方、王直は、浙江省舟山諸島を拠点に活動していたが、明による取締の強化に対応して、1540年に五島列島、1543年に平戸に拠点を移している。

ここからは私の想像になる。王直は鉄砲を積載したポルトガル船に乗っていた。彼は日本と往来しており、コネクションもある。ポルトガル船は種子島に漂着したが、明らかに王直を案内人として日本との交易を目指していたのだろう。

一方、日本側、例えば、王直に拠点を提供した松浦氏は、当然、王直を経由してポルトガルや鉄砲の情報を得ていただろう。王直が乗ったポルトガル船の目的地が五島や平戸だった可能性もあるだろう。実際、1550年にはポルトガル船が平戸に来航し、ポルトガル商館が設置される。

ハワイへのキャプテン・クックの来航は偶然の要素が大きい。しかし、ポルトガル船の来航は、種子島に漂着したことは偶然だったかもしれないが、かなり計画的であり、また、来航以前にも間接的な交流はあったのではないかと想像する。そんなふうに考えると、鉄砲伝来の様相もかなり違ったものに見えてくる。

フェートン号の目的はなにか

この本で新しく知ったことに、フェートン号来航の目的があった。

日本史でフェートン号事件を見ると、突然長崎にイギリス船フェートン号が現れ、オランダ船を襲い、風のように去っていった、という印象を持つ。

フェートン号事件は1808年に発生している。この時期、ヨーロッパではナポレオン戦争が起きていた。この当時、フランスとフランスに占領されていたオランダは、イギリスとその同盟国であるポルトガルと対立していた。フェートン号事件は、東アジアにおけるオランダの拠点を、敵国であるイギリスが襲撃したものだった。

さらに、フェートン号の最終的な目的はオランダの襲撃ではなかったという。イギリスとポルトガルは同盟国だったから、東アジアにおけるポルトガルの拠点、マカオにはイギリス東インド会社の商館が置かれていた。 しかし、イギリスとポルトガルの関係も蜜月というわけではなく、オランダによってマカオが襲撃される可能性があるという口実のもと、イギリスがマカオを保護占領することを狙っており、フェートン号はそのためにイギリス東インド会社の要請でマカオに向かっていた。長崎での事件はその途中に立ち寄ったもので、だから比較的あっさり、風のように去っていたということらしい。

この事件もそのような当時の東アジアを中心とした国際関係をふまえてみるとまた様相が異なって見える。

これからもグローバリゼーションの歴史を追っていきたい。