「市場の倫理 統治の倫理」
勤務先の会社で「社会科学研究会」という勉強会に参加している。この勉強会では、人文系の一般書を輪読している。今、行動経済学の本を読んでいるが、そのなかで、人間は合理的経済人として行動するだけではなく、社会的な倫理に基づいて行動する、そして、そのほうが望ましい結果がもたらされるという指摘があった。その一節を読み、ジェイン・ジェイコブズ「市場の倫理 統治の倫理」を思い出した。
この本のなかで、ジェイコブスは、社会には「市場の倫理」と「統治の倫理」という二つの倫理体系があり、この二つを混ぜ合わせることで腐敗が生じると主張している。
ジェイコブスは、市場の倫理と統治の倫理の主な特徴を以下のようにまとめている。
市場の倫理
- 暴力を締め出せ
- 自発的に合意せよ
- 正直たれ
- 他人や外国人とも気やすく協力せよ
- 競争せよ
- 契約尊重
- 創意工夫の発揮
- 新奇・発明を取り入れよ
- 効率を高めよ
- 快適と便利さの向上
- 目的のために異説を唱えよ
- 生産的目的に投資せよ
- 勤勉なれ
- 節倹たれ
- 楽観せよ
統治の倫理
- 取引を避けよ
- 勇敢であれ
- 規律順守
- 伝統堅持
- 位階尊重
- 忠実たれ
- 復讐せよ
- 目的のためには欺け
- 余暇を豊かに使え
- 見栄を張れ
- 気前よく施せ
- 排他的であれ
- 剛毅たれ
- 運命甘受
- 名誉を尊べ
統治の倫理とジョン・マケイン
ジョン・マケインは二回アメリカ大統領選挙に挑戦したが、一回目は共和党内の予備選挙でジョージ・W・ブッシュに破れ、二回目は大統領選挙で民主党のバラク・オバマに破れた。しかし、上院議員として、特に外交、安全保障政策の領域で大きな存在感を示し、尊敬を集めていた。最近では、共和党員でありながらドナルド・トランプを厳しく批判している。
私は一貫して自分の信念にしたがって発言をする彼に敬意を持っていた。
市場の倫理と統治の倫理のリストを見ていると、ジョン・マケインは統治の倫理に忠実だったことがわかる。彼は政治家にふさわしかったし、大統領として仕事をしているところを見てみたかった。
ドナルド・トランプと市場の倫理と統治の倫理の混交
この市場の倫理と統治の倫理という観点からトランプを見ると、どうなるのだろうか。
彼は「ディール(取引)の名人」であると主張している。統治の倫理の第一番目に「取引を避けよ」とある。取引は自己の利益のためにするものだから、自己の利益を超えた理想を目指す統治の倫理とは相容れない。
マケインがベトナムの捕虜になったとき、著名な軍人の息子であることを知ったベトナム軍は彼に対して早期に釈放するという取引を持ちかけた。これに対し、マケインは自分より早く捕虜になった人より先に釈放されることを拒絶した。これは統治の倫理である「取引を避けよ」「運命甘受」「名誉を尊べ」といった項目に当てはまる。
それでは、トランプは市場の倫理に忠実だろうか。それも当てはまらない。例えば、「正直たれ」「他人や外国人とも気やすく協力せよ」といった倫理からは遠く隔たっている。
トランプはいずれにせよ何らかに倫理に従って行動し、生きている訳ではない。だから、典型的な意味での「市場の倫理」と「統治の倫理」の混交による腐敗ではないけれど、「統治の倫理」ではもっとも避けるべき「取引による自己の利益の追求」をしているという意味で、大統領として守るべき「統治の倫理」を守っていないということは明らかだろう。
個人的にトランプの行動でいちばん好きになれないのは、「名誉を尊べ 」といった自己の利益を超えた「高貴さ」を求めるところがないことだ。マケインともっとも相容れなかったのはそういったところなのだろう。一方、反ワシントン、反権威を求めるトランプ支持者は、そういった「名誉」「高貴さ」を踏みにじるトランプに痛快さを感じているのかもしれない。
そして、安倍晋三
安倍晋三は、マケインとトランプのどちらに似ているだろうか。
私は、自己の政治的な利害を追求し、それを超えた「名誉」「高貴さ」に関心が乏しい、それゆえ、底が浅く見える言動、行動が目立つ彼は、トランプタイプだと思う。