有明・お台場リレー・ハーフマラソンに参加してみた

有明・お台場リレー・ハーフマラソンに参加してみた

最近、体調もよく、せっせと身体を動かしている。

一人でいるのが苦にならない、というか、積極的に一人でいるのが好きなので、一人で泳いだり、一人で走ったり、一人でトレーニングをしていることが多い。それで十分楽しかったりする。

とはいえ、身体を動かすことも習慣化してきたから、運動を通じて交流するのもよいかなと思い、会社のランナーズクラブに顔を出してみた。新人歓迎会を兼ねていたこともあって、とっても平均年齢が低く、大丈夫かなオレ、とも思ったけれど、それなりになじめたような気がする(しているのはオレだけかも?)。

そこで、ランナーズクラブで「有明・お台場リレーハーフマラソン」に参加しましょうというお誘いがあり、参加してみた。

onetokyo.org

1500m☓3本を全力疾走(自分なりの)

有明・お台場リレーハーフマラソン」では、往復1,500mのコースが設定されており、これをのべ14名でリレーをする。私の参加したチームは5人で、自分は1,500mを3本走った。

自分一人で走っているときは、頭ではインターバル・トレーニングが効果的だっていうことはわかっていても、単純にとっても苦しいので、やる気がわかない。5~10kmの距離をマイペースでのんびりと走っている。

別に今回も順位やタイムを目指している訳ではないからのんびりと走ってもいいのだけれども、競争的な要素があり、しかも、チーム対抗という設定になると、おもわず全力で走ってしまう。まあ、全力といっても、いまの自分の全力だけれども。

1月にハーフマラソンを走ったときは、1km5分30秒ぐらいのペースだった。そのあと、目白ロードレースで5kmちょっとを走ったときは、1km5分切るぐらいのペース。今回、1,500mはどのくらいのペースで走れるのかわからなかったけれど、だいたい1km4分10秒、1,500mで6分20秒を切るぐらいのペースだった。いまの自分の全力疾走はこのくらいのペースなのだろう。

ランナーズ・クラブの平均年齢を高めているけれど

冒頭にも書いたけれど、ランナーズ・クラブの参加者は若くて、自分はひとりで平均年齢をぐっと高めている。仕事からは離れた場でこのくらいの年齢の人たちと話す機会はあまりなくて、とても興味深く、楽しい。彼らのじゃまにならない範囲で、参加していきたいと思う。

打ち上げの飲み代はおごらないとね。

中国語オンライン・レッスンの学校、先生を変えてみた

私の中国語の学習歴

大学時代(もはや30年前)に第二外国語で中国語を選択していた。その当時、まだ観光インフラが整っていない中国に旅行するとき、サバイブするための必要最低限の中国語は話せていた(ような気がする)。最近、また台湾へ少々ディープな旅行をしてみたいという目標もあって、中国語の学習を再開した。それなりのレベルになれれば仕事にも使えるかもしれない、という淡い希望もある。

基本的には教材を使って自習をしている。しかし、当然ながら中国語でコミュニケーションをしなければ、スピーキングとリスニングの能力は向上しないし、そもそも自分の中国語の発音がネイティブに通じるのか、すらもわからない。そこで、中国語のオンライン・レッスンを受講することにした。

これまでの中国語オンライン・レッスン

ここ1年、「チャイニーズ・プラザ」という学校を利用して、週末に一回、50分のオンライン・レッスンを受講してきた。

chinese-plaza.com

「汉语口语速成基础篇」という、孔子学院でも使われているという初中級の標準的なテキストを使っている。今はまだボキャブラリーも限られていて、フリートークを続けるのは難しい段階なので、テキストを使ったレッスンを選んでいる。

「チャイニーズ・プラザ」では、自由に先生を選んでレッスンを受けることができる。日本語も堪能で、説明が詳しくてわかりやすい先生を見つけ、1年間ずっと同じ先生のレッスンを受けてきた。

学校と先生を変えてみようと思った理由

この先生は、教え方がうまいし、いい先生だと思う。しかし、ずっと同じ先生のレッスンを受けていると、自分の中国語が他の人にどの程度通じるのが知りたいという気持ちが芽生えてきた。また、この先生は日本語がうますぎるので、どうしても日本語で話す時間が多くなってしまうという問題もあった。基本的にはこの先生に満足していたけれど、1年過ぎたことをきっかけとして、新しい先生に変えてみようと思った。

「チャイニーズ・プラザ」という学校は、受講料が安いところがメリットで、実際、この先生でこの受講料というのは、かなりコストパフォーマンスがよいと感じていた。しかし、先生の層が薄くて、質にも差が大きいため、先生を変えるのであれば、あわせて学校を変えてみることにした。

新しい中国語オンライン・レッスン

「BitEx中国語」の体験レッスンの印象がよかったので、しばらくここのオンライン・レッスンを続けてみようかと考えている。

BitEx中国語学習ポータルサイト。中国語辞書、教材、検定資格、中国語会話、eラーニング、オンラインスクールなど多数のサ

「チャイニーズ・プラザ」と比較すると「BitEx中国語」は、受講料は2倍ぐらい高いが、それだけに組織は整っており、先生の質のバラツキも小さいような印象がある。

「汉语口语速成基础篇」の続きのレッスンを進める予定である。

また、もうしばらく受講してみたら様子を報告したいと思う。

「牯嶺街少年殺人事件」と「三四郎」

このエントリーには「牯嶺街少年殺人事件」の結末に関する記述があります。

台湾巨匠傑作選2018

国語学習のための情報を得るために、神保町の中国語専門書店「内山書店」のTwitterをフォローしている。内山書店は、戦前は上海にもお店があり、魯迅とも縁が深い。

このTwitterで「台湾巨匠傑作選2018 | ケイズシネマ」という台湾の古典的映画の特集上映の情報が流れてきた。侯孝賢の映画は何作か見ているけれど、エドワード・ヤンの映画は気になっていたが、見たことがなかった。最近、映画館に行って映画を見ることに腰が重くなっているのだが、久しぶりに映画館に行ってみる気持ちになった。

本省人外省人

侯孝賢悲情城市」は国民党統治下の本省人の苦難を描いている。本省人とは、戦前から台湾に暮らしていた人々のことである。彼らは日本統治下は日本人に、戦後は、中国からやってきた国民党、外省人の統治下でさまざまな苦難を味わっている。


「悲情城市」(1989) ホウ・シャオシェン A City of Sadness

悲情城市 - Wikipedia

外来の人たちに支配されていた本省人の苦難は、ある意味わかりやすい。支配者側にある外省人にもおそらくさまざまな苦難があったはずだが、本省人の苦難より見えにくい。

エドワード・ヤン「牯嶺街少年殺人事件」は外省人の生活に焦点を当てていると聞き、「悲情城市」と対比しながら見てみようと思った。


映画 『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』 予告編

www.bitters.co.jp

時代の空気を描く

今回公開された「牯嶺街少年殺人事件」は、1960年代初頭に実際に起きた少年が少女を殺した事件をモデルにしているという。主人公が殺人に至るプロセスが映画の中心ではあるものの、それだけに焦点が絞られている訳ではなく、1960年代初頭、国民党による大陸反攻が不可能であることが明らかになってきた頃の、郷里を喪失した外省人とその子供の世代の閉塞感という「時代の空気」そのものが描かれている。

映画は236分あり、メインのプロットとはあまり関係ない場面、とりとめない場面がも多いけれど、それだけの時間をかけて映画を見ることで、ようやくその「時代の空気」が理解できるのかなと感じた。長い映画だったけれど、退屈はしなかった。

「牯嶺街少年殺人事件」と「三四郎

殺人に至る主人公「小四」と殺されるヒロイン「小明」の関係は、夏目漱石三四郎」の「三四郎」と「美禰子」の関係に似ていると思った。

自分の考える女性像を相手の女性に投影し、実際の相手の行動言動が自分の考える女性像に当てはまらないと女性は不可解だと考えてしまう。相手の不可解な行動言動を不道徳な誘惑と考えて矯正しようとする。

三四郎は余裕があるので美禰子のことを不可解と考えるだけで劇的な結末に至らないけれど、小四は自身の生活、精神状態も追い込まれており、自分では小明を保護しているつもりで依存していた。このため、勝手に小明に裏切られたと考え、錯乱しながら彼女を刺殺してしまう。

この映画をみながら、「三四郎」と「美禰子」の関係には、ある種の普遍性があるのかもしれないと思った。

ホモ・ソーシャルな財務省とWWEのZero Tolerance Policy

ホモ・ソーシャルな財務省

福田財務省事務次官のセクハラ問題については、いろいろな論点があるだろうし、さまざまな人が語ってもいるのだろう。

私の感想は、ノーパンしゃぶしゃぶ問題で大蔵省が解体されて財務省になったけれど、相変わらずホモ・ソーシャルな組織文化は継続していたのか、ということである。

ノーパンしゃぶしゃぶ問題のとき思ったのは、接待される大蔵省の人も、接待する銀行の人も、みながみなこういうお店に行きたいと思っているわけではなかろう、ということだった。おそらく、下世話なことを共有する「共犯関係」になることで関係を強固にするというホモ・ソーシャルな世界があったのだろう。

福田次官のセクシャル・ハラスメントを眺めると、相も変わらず同じようなホモ・ソーシャルな世界が継続していて、その世界のなかの感覚で他人に対して接しているように見える。大蔵省時代は本当に関係者は男性しかいないという状況だったのだろうけれど、最近はその関係者のなかに女性もおり、セクシャル・ハラスメントになったのだろう。

問題発覚後の財務省の対応を見ると、省内にセクシャル・ハラスメント防止の制度がないか、あっても形骸化していたとしか思えない。本気でホモ・ソーシャルな組織文化を変えようとしなければ、同じようなセクシャル・ハラスメントの問題は次々と発生するだろう。

www.asahi.com

WEEのZero Tolerance Policy

さて、そのような財務省と比較するのが適切かわからないけれど、組織としてのセクシャル・ハラスメントへの対応事例をひとつ挙げておきたい。

アメリカのプロレス団体WWEでは、家庭内暴力やセクシャル・ハラスメントに"Zero Tolerance Policy"を採用している。

具体的には、家庭内暴力やセクシャル・ハラスメントが疑われるような情報が公になった時点で出場停止とする。さらに、証拠付けられた段階で即刻解雇、逆に無実が明らかになれば復帰するという方針である。

実際に、この方針にしたがって出場停止や解雇になったレスラー(WWE用語でいえばスーパースター)がいる。

hubpages.com

www.sbnation.com

今の自分の職場が財務省ほどホモ・ソーシャルではない(まったくそういう傾向がないとは言えないが)ことにはほっとする。また、自分はとてもじゃないが、財務省のような職場では働けないなと思う(もちろん、向こうも私を雇おうと思う可能性はゼロだけども)。

花粉とヤクに支配される

花粉に支配される

今週は花粉症でひどい目にあった。

先週から花粉症の症状が徐々に激しくなり、週末は家を出ないほうがいいだろうと思うレベルになった。週が開け、月曜日の朝、鼻が詰まり、睡眠中口呼吸をしたせいか喉がカラカラで、咳が止まらず、目も痒く、頭痛がした。一言でいう、とても具合が悪くなった。

花粉症の薬は飲んでいたけれど、効き目が足りないと思い、月曜日の午前中会社の近くのクリニックに行って、いつもの薬より一段階強力な抗アレルギー剤を処方してもらった。

翌日の火曜日、喉の炎症が悪化し、本格的に熱発して起き上がれなくなった。もともと慢性扁桃炎だったので喉は弱い。扁桃腺は手術で切除しているが、花粉症のアレルギーの症状が喉に出る。しかし、アレルギーが原因で本格的に熱発したのははじめてだった。

まったくもって、花粉に支配されている。

ヤクに支配される

水曜日は、新しい花粉症の薬の効果もあり、鼻づまりなどはかなり改善した。あわせてロキソニンも飲んで、頭痛と発熱も抑えることができた。

新しい花粉症の薬を処方してもらう時、先生に効果と同時に副作用もレベルアップしますか、と質問した。答えは、人による、ということだった。私の場合、やはり副作用もレベルアップして、特に午前中は花粉症の薬の副作用が抜けず、眠気が抜けない。

アメリカで鎮痛剤の中毒が社会問題化しているというが、ロキソニンを飲んでいると、そういうこともあるのだろう、と思う。具合が悪い時、ロキソニンを飲んでしばらく経つと、薬が効いてきたのが感じられて、気分が良くなる。しかし、そのうち薬効が切れてふたたび具合が悪くなる。そうすると、またロキソニンを飲み、気分が良くなり、というサイクルを繰り返すことになる。

上にも書いたが、以前、扁桃腺を切除をする手術を受けたことがある。術後しばらくの間は喉の痛みが続く。それを抑えるためにロキソニンを飲んでいた。ロキソニンを飲むには5時間は間隔をあけるようにと言われる。しかし、薬効は5時間続かず、痛みがぶり返す。入院中は、時計を眺めながら、早く5時間経って、ナースコールを押してロキソニンをもらえる時間にならないか、じりじりしながら待っていた。

まったくもってヤクに支配されている。

これは公害

そんなわけで、今週は具合が悪いかラリっているかを交互に繰り返していた。

それにしても、花粉症は明らかに公害だ。林業家や農林水産省はこんな事態を引き起こすとは予想できなかっただろうけれど、公害企業だって公害を引き起こすと予想していたとは限らない。

杉とヒノキはどんどん切り出して、その跡地には杉とヒノキを植えるのは禁止して欲しい。

世界史のなかの日本史:16世紀のグローバリゼーション

東洋文庫東インド会社とアジアの海賊」

先日、東洋文庫ミュージアムで開催されている「ハワイと南の島々」展を見に行った。

展示 - 東洋文庫ミュージアム INFO

そのとき、ミュージアムショップで気になった本「東インド会社とアジアの海賊」を衝動買いしたのだが、これが非常におもしろかった。

東インド会社とアジアの海賊

東インド会社とアジアの海賊

 

東洋文庫ミュージアムが改装されたあと最初の展覧会「東インド会社とアジアの海賊」を記念して開催されたシンポジウムの内容を書籍したものだという。16 ~17世紀のアジアにおける海賊を中心とした歴史を扱ったアンソロジーである。これまでも、オランダ東インド会社、イギリス東インド会社倭寇、東南アジアの交易、大航海時代などのテーマの本を読んできたけれど、この本ではじめて知る事実も多く、刺激的だった。

世界史のなかの日本史:グローバリゼーションの結果としての天下統一

古代から日本列島で展開されてきた歴史は、海外との関係に大きく影響され、さらに言えば、東アジアから地球全体に広がる関係の網目の一部を構成している。このことはわざわざ言うまでもないほど自明なことだと思うけれど、「日本史」を扱うとき、海外との関係が十分目が行き届かないことが多い。

例えば、戦国時代に天下統一が進む契機のひとつとして、鉄砲伝来がある。鉄砲によって戦国時代の戦争のあり方が大きく変化し、戦闘に決着がつきやすくなった。そう考えれば、日本の天下統一はグローバリゼーションの一部に位置づけられるできごとである。

ハワイにキャプテン・クックが来航したとき、ハワイ諸島は四人の君主が並立していたという。その後、カメハメハ一世は、鉄砲などの西洋のテクノロジーや西洋人の顧問を活用して西洋の戦闘法を取り入れることによって、ハワイ諸島を統一し、ハワイ王国を建国した。

グローバリゼーションという観点から見れば、日本の戦国時代の天下統一とカメハメハ一世のハワイ王国建国は、西洋との接触を契機とした国の統一、集権化という事例として比較することができる。

鉄砲伝来の背後にあるもの

鉄砲伝来を日本の側からだけ見ると、突如としてポルトガル船が漂着し、鉄砲という新しいテクノロジーが偶然伝えられたかのように見える。この本で紹介されている後期倭寇頭目、王直の生涯を見ると、それほど単純なできごとではないようだ。

ポルトガル船が種子島に漂着したのは、1542年か43年のできごとと言われている。この船に五峯と呼ばれる中国人が乗船していたという記録がある。この五峯という名は、王直の別名だという。

一方、王直は、浙江省舟山諸島を拠点に活動していたが、明による取締の強化に対応して、1540年に五島列島、1543年に平戸に拠点を移している。

ここからは私の想像になる。王直は鉄砲を積載したポルトガル船に乗っていた。彼は日本と往来しており、コネクションもある。ポルトガル船は種子島に漂着したが、明らかに王直を案内人として日本との交易を目指していたのだろう。

一方、日本側、例えば、王直に拠点を提供した松浦氏は、当然、王直を経由してポルトガルや鉄砲の情報を得ていただろう。王直が乗ったポルトガル船の目的地が五島や平戸だった可能性もあるだろう。実際、1550年にはポルトガル船が平戸に来航し、ポルトガル商館が設置される。

ハワイへのキャプテン・クックの来航は偶然の要素が大きい。しかし、ポルトガル船の来航は、種子島に漂着したことは偶然だったかもしれないが、かなり計画的であり、また、来航以前にも間接的な交流はあったのではないかと想像する。そんなふうに考えると、鉄砲伝来の様相もかなり違ったものに見えてくる。

フェートン号の目的はなにか

この本で新しく知ったことに、フェートン号来航の目的があった。

日本史でフェートン号事件を見ると、突然長崎にイギリス船フェートン号が現れ、オランダ船を襲い、風のように去っていった、という印象を持つ。

フェートン号事件は1808年に発生している。この時期、ヨーロッパではナポレオン戦争が起きていた。この当時、フランスとフランスに占領されていたオランダは、イギリスとその同盟国であるポルトガルと対立していた。フェートン号事件は、東アジアにおけるオランダの拠点を、敵国であるイギリスが襲撃したものだった。

さらに、フェートン号の最終的な目的はオランダの襲撃ではなかったという。イギリスとポルトガルは同盟国だったから、東アジアにおけるポルトガルの拠点、マカオにはイギリス東インド会社の商館が置かれていた。 しかし、イギリスとポルトガルの関係も蜜月というわけではなく、オランダによってマカオが襲撃される可能性があるという口実のもと、イギリスがマカオを保護占領することを狙っており、フェートン号はそのためにイギリス東インド会社の要請でマカオに向かっていた。長崎での事件はその途中に立ち寄ったもので、だから比較的あっさり、風のように去っていたということらしい。

この事件もそのような当時の東アジアを中心とした国際関係をふまえてみるとまた様相が異なって見える。

これからもグローバリゼーションの歴史を追っていきたい。

 

なぜトレーニングは苦しいか

なぜトレーニングは苦しいのか

最近、定期的にジムに通ってウェイトトレーニングをしている。

ウェイトトレーニングによって次のようなステップを経て筋肉量が増大するらしい。

  • 一定以上の負荷(負荷の量についてはいくつかの説があるらしい)をかけたウェイトトレーニングを行う
  • トレーニングによって筋肉組織が破壊される
  • 筋肉組織が回復する時、回復前に比べより大きな筋肉になる(「超回復」という)
  • このサイクルを繰り返す

最初のステップ「一定以上の負荷をかけたウェイトトレーニング」は、正直言って苦しい。しかし、苦しいぐらいの負荷をかけないと「超回復」のサイクルに入れないらしい。

私の場合は、健康維持のためのトレーニングだから、ほどほどに成果があればよいけれど、それでも苦しい思いのするのだったらそれ相応の効果がほしいと思う。アスリートであれば、よりその思いは強いだろう。そう考えると、彼らに対して、トレーニングの効果を増大させるドーピングの誘惑は強力なんだろうなと想像する。

しかし、考えてみれば、なぜ、筋肉を増大させるためにわざわざ苦しい思いをしなければならないのだろうか。子供から大人に成長するときは、別にトレーニングをしなくても自然に身体は大きくなる。苦しまずに筋肉を増大させる(ドーピングは別として)健康的な方法はないのだろうか。

採集狩猟生活に適応した身体

以前、ダイエットに関するエントリーを書いた。その時、現代人の身体はまだ採集狩猟生活に適応しており、農耕開始以降の生活と身体の齟齬の結果が肥満である、という考え方に基づいてダイエットを考えてみた。ウェイトトレーニングも同じ考えが当てはまるように思う。

yagian.hatenablog.com採集狩猟生活において、食料の入手は不安定であり、食料の保存技術も未発達だったから、飢餓状態への対応が非常に重要になる。そのため、食料があるときには、その時の必要量以上を摂取するような食欲がわき、過剰なカロリーは脂肪の形で蓄えられ、飢餓に備える。農耕生活では安定してカロリーを摂取できるようになったため、本能に従って食欲のままに食事を摂ると過剰な脂肪が蓄積される、つまり肥満になる。

ダイエットのためには、摂取カロリーを制限したり、有酸素運動でカロリーを消費するだけではなく、筋肉を増やすことが有効だと言われている。筋肉量を増やせば、平常時の代謝が高まり、それだけカロリーが消費されるようになる。

このことを採集狩猟生活の観点から見ると、過剰な筋肉は飢餓への耐性を下げる危険があるということだ。だから、採集狩猟生活を生き抜くためには、筋肉は必要最小限にしておくことが適応的である。

必要な筋肉をつけ、不要な筋肉を削ぎ落とすために、人間の身体は、高頻度で強度が高い負荷がかかる運動をした筋肉は大きくし、運動をしていない筋肉は衰えるようにプログラムされているのだと思う。採集狩猟生活において、筋肉はかなりの贅沢品だ。だから、それを大きくするためには苦しいほどのトレーニングが必要になる。

そう考えると、もし人間の自然なメカニズムにしたがって筋肉を大きくしようとすると、苦しいトレーニングは不可避のように思える。

暗記と記憶総量の制限

同じようなメカニズムは暗記にもあるように思う。

今、語学の学習でボキャブラリーを増やすために、単語の暗記をしている。しかし、単語の記憶を定着させるためには、繰り返しのトレーニングや実際にその単語を使う体験をする、といったことが必要だ。ウェイトトレーニングの苦しさに似ている。

人間は、必要なことは記憶するが、不要なことはなるべく記憶しないようにプログラムされているのではないだろうか。

映画「レインマン」で取り上げられていたサヴァン症候群の人を見ていると、人間の脳の生理的な限界、という意味では、いまよりはるかに大量の記憶はできるように見える。しかし、大量に記憶をしてしまうサヴァン症候群の人は、社会生活を営むことが難しい。つまり、サヴァン症候群ではない一般の人は、脳の生理的な限界の手前で記憶料を制限するメカニズムが働くことで、社会生活を容易にしているのではないか。

必要な記憶と不要な記憶を選別するメカニズムとして、繰り返し触れることがらが記憶に定着する。人間が必要な筋肉を選別するメカニズムを利用する形でウェイトトレーニングの方法があるように、記憶を選別するメカニズムを利用して暗記という行為があるのだろう。

結局、筋肉を大きくすることも、単語を暗記することも、一定程度の苦痛が必要になる、という結論に至ってしまった。