夏の京都

先々週の夏休みを利用して、2泊3日で京都に行ってきた。
京都は、少々お金を持っていった方が断然楽しい。大人、それも、旦那衆がいちばん楽しめる町だと思う。私自身、学生よりはお金を使って楽しく遊べるけれど、とても旦那衆にはなれない。普段は、地味に平和に楽しく暮らせればよいと思っているけれど、京都のような町で遊んでいると、もっとお金を稼ぎたいという野心が湧いてくる。
京都は、食べ物がおいしい。以前、京都大学に勤めている知り合いに、東京の料理について「ふふ、まあ、東戎(あずまえびす)ですからね」と言われてしまったことがある。正直言って、認めざるをえない。東京の食べ物は、北関東から東北の影響が強いと思うけれど、あまり洗練されていない。粗野な、野趣あふれる所が売りなのだろうけれど、やはり、京都の料理と食べ比べてしまうと、差は歴然としている。
今回の旅行では、河道屋養老という蕎麦屋に行き、この店の名物料理という養老鍋を食べた。いままで、蕎麦ばかりは関西よりは関東の方がおいしいと思っていた。ざらざらとした舌触りと、香りがきつい蕎麦は、もともと粗野な食べ物だから、ざるそばで濃いめのつゆをつけ、ワイルドにすすり込むのがおいしいと思っていた。関西風のかけそばにすると、ざらっとした舌触りに欠けるし、蕎麦の香りも楽しめないと思っていた。しかし、養老鍋は、ざるそばとは違った蕎麦のおいしい食べ方だった。
養老鍋は、まず、土鍋にそばつゆ、もちろん、関西風の薄味のもの、が入ってでてくる。それに、地鶏、海老、生麩、湯葉、ひろうす、京野菜、白菜をいただく。そばつゆを使っているところが贅沢である。地鶏から出るだしもおいしく、つゆをすった生麩、ひろうす、白菜なんかがとてもおいしい。つれあいは、前の晩に飲み過ぎた旦那けの料理じゃないかと言っていたが、たしかに胃に優しい。鍋の具をいただいた後に、きしめんと蕎麦を鍋に入れる。それまでの鍋が上品でおいしかったから、もう、蕎麦の食感や香りなどはあまり気にならない。これはこれで、とてもおいしい蕎麦の食べ方だと思った。
秋だったら、地鶏のかわりに鴨肉でもいいかもしれないと思う。もしかしたら、鴨肉だと脂と香りがきつくて、上品さに欠けるのかも知れない。
最近の蕎麦の流行を見ていると、もっぱら材料の蕎麦粉と蕎麦の打ち方ばかりが話題になっているようだ。しかも、十割の香りがきつい田舎風の蕎麦がもてはやされている。そればかりが蕎麦ではないはずと思っていたけれど、養老鍋を食べると、こういう蕎麦のおいしい食べ方があることがわかる。食べ歩きの本などを読んでいると、どんどん狭い方向に入っていくものが多いけれど、それはずいぶんつまらないことだと思う。もっと自由になれば、いろいろとおいしい食べ方が見つかるように思う。