初秋

最近、どうも体調がよくない。朝起きると身体全体がだるいし、肩や背中も恒常的にこっている。どちらが原因で、結果なのかはよくわからないけれど、体調がよくないと気分も落ち込み気味になり、引きこもって本でも読んでいたい気分になる。それも新しい本ではなく、これまで何度も読んできた本を読み返したくなるのである。
明日、滋賀県で朝から仕事があり、近江八幡に前泊することになっている。近江八幡は、新快速で京都駅から30分だから、それをよいことに、今日は朝の新幹線で京都に行ってこようと考えて、指定券を買っておいた。しかし、昨日の晩には、日曜日に早起きをして、コンピューターと資料が入っている重いバッグを担いで歩くのが面倒くさく感じられ、億劫な気分になってしまった。その上、京都に行く前に、会社によって事務仕事をいくつかかたづけて、資料を持って行かなければならない。いっそ、夜の新幹線で近江八幡に行くことにしようかとも考えた。けれども、指定席を取ってしまっていたし、変更するためには、わざわざJRの駅まで行かなければならない。覚悟を決めて朝から京都に行くことにして、早寝をした。
だいたい、こういう憂鬱な気分は、いざとなってしまえば軽くなるもので、今朝になってみれば、ちょっと楽しみな気分になっている。放っておくといくらでも家に引きこもってしまうから、強引に予定をいれてしまうぐらいがちょうどよい。
新幹線の時間の1時間半ほど前に会社に着いた。さすがに、日曜日の朝の時間帯には、同じフロアで出社しているひとはいない。コンピューターを立ち上げてメールチェックをして、プロジェクトの契約関係の書類を作り、ポストイットでメモをつけて、事務の人のインボックスに入れておく。
ポストイットのメモを読み返し、自分の手書きの文字はきたなくて、他の人には読みづらいだろうと思う。最近は、プロジェクト・リーダーの仕事をすることが多いが、結局、プロジェクト・リーダーの役割は、プロジェクトのメンバーが仕事を進めやすいようにサポートをすることにつきるのだろうと思う。ポストイット手書きのメモも、メンバーの働きやすさを考えれば、読みやすく、誤解のないように書くべきなのだろうと思う。しかし、結局、めんどうくさくなって走り書きで済ませてしまう。細部まで気をまわさなければと思うこともあるのだけれども、結局、適当に流してしまっている。そういった態度は、恐らく、プロジェクトのメンバーにも伝わっているのだろう。これではいけないのだが。
東京は朝から薄暗くて、雨が降っていた。新幹線で西に向かうと、静岡県に入るあたりから雨は小降りになり、少しずつ明るくなってきた。京都に着くと、低い雲がたれ込めていたけれど、雨は止んでいた。
京都駅から四条河原町までバスに乗った。また京都に来ようと思っていたので、回数券を買った。バスのなかでテープのアナウンスを聴いていたら、「阪急電車にお乗り換えの方」の「お乗り換えの方」が京言葉のアクセントだった。こういうのを聴くと、関西に来たんだなと実感する。
バスを降りて、権太呂という蕎麦屋に行ってニシン蕎麦を食べた。蕎麦といえばもりそばで香りを楽しむのが醍醐味だと思っていた。夏に京都へ行ったとき、河道屋養老という蕎麦へ行って、養老鍋を食べ(id:yagian:20040822#p2)、関西の薄味のつゆだったら、暖かい蕎麦もおいしいと思うようになった。今日のニシン蕎麦も、身体がほくほくと温まって、身体にいいような気がした。蕎麦に限らず、関東、東北は、食材そのままの味や風味を強調するけれど、関西は手をかける料理が多い。料理のおいしさは好みにもよるけれど、どちらが料理として成熟しているかといえば、関西の方だろう。
四条河原町界隈から祇園までお店をのぞきながらぶらぶらと歩いた。鍵善良房という店で、くずきりを食べながら小休止。そのあと、高台寺下から二年坂、三年坂をまわって、清水道からバスに乗って京都駅まで出た。東山のあたりを散歩するのは楽しい。
JR伊勢丹の地下で、お弁当を買った。お総菜の詰め合わせと、じゃこご飯の組み合わせである。お弁当を抱えて、今晩泊まる近江八幡までJRに乗って行く。沿線は、京都のベッドタウンになっているようで、駅前にはマンションとショッピングセンターがある。建設中のマンションや空き地もある。駅からちょっとはずれると、同じような形をした一戸建ての家が並んでいる。駅から離れると、田んぼが広がり、昔ながらの農家の家が見えてくる。