追憶

土曜日に、DICASから借りたDVDで「追憶」を見た。ロバート・レッドフォードバーブラ・ストライザンドのラブストーリーである。
つれあいが、SATCのなかで「追憶」のラストシーンについて語り合っているのを見て、見てみることになった。
「追憶」は、1973年に制作されている。この時代のハリウッド映画は、いまのように世界中のマーケットの老若男女を相手に売り込もうとしていなかったのだろうかと思った。少なくとも、「追憶」は、アメリカの大人だけを観客として想定している。
「追憶」は、二人の出身階級、エスニック、そして、戦争と赤狩りがを大きな背景がとなっている。しかし、背景については、わかる人にはわかるようにほのめかされているけれど、説明的な描写はない。1973年当時、アメリカの大人が見れば、特に苦労もなく理解できたのだろうけれど、現在の日本人が理解するためには、当時のアメリカに関してある程度の予備知識が必要である。
バーブラ・ストライザンドが演じたケイティは、貧しいユダヤ系の出身であることが語られるが、彼女の家族はまったく登場しない。だから、どんな家族に生まれたのか、映画の中の手がかりと、アメリカに関する知識を総動員して想像することになる。
ケイティは共産主義の闘士でフェミニストであるけれど、ロバート・レッドフォードが演じるハベルが家にやってくると、テーブルからはみだしそうなほどたくさんの料理を作ってもてなそうとする。おそらく、ケイティの家は、貧しく、子だくさんで、家族がたくさんいるけれど、お客さんが来ればお母さんが腕をふるって料理をたくさんふるまう、といった雰囲気だっのだろう。私にとっては、そんな風にあれこれ想像するのが楽しい。ケイティという役柄に奥行きが感じられる。しかし、誰もがそんな風に楽しむことができるわけではないと思う。
もし、「追憶」が海外の市場を意識して作られていたとしたら、もっと説明的な映画になっていたに違いない。そして、もっと広い年代層を対象としていたら、あのほろ苦いエンドシーンではなくなっているに違いない。そしてなにより、あれだけ個性が濃いバーブラ・ストライザンドがヒロインに選ばれていないに違いない。