コロッケ

以前の日記(id:yagian:20040901#p2)で、柴田元幸「ナイン・インタビューズ柴田元幸と9人の作家たち」(アルク)(ISBN:4757407815)のなかの柴田元幸村上春樹の対談を引用しているが、その一部分を再掲する。

村上 ・・・例えば柴田さんがここにあるコロッケについて原稿用紙10枚書くとする。柴田さんはただコロッケについて書いているわけであって、柴田さん自身について語っているわけじゃないんだけども、そのコロッケについての文章を読めば、柴田さんの人柄というか、世界を見る視点みたいなものが、僕にもある程度わかるわけじゃないですか。
柴田 ええ、願わくば。
村上 でも柴田さんが僕に向かって直接、柴田元幸とは何か、いかなる人間存在か、というような説明をはじめると、逆に柴田元幸を理解することは難しくなるかもしれない。むしろコロッケについて語ってくれた方が、僕としてはうまく柴田元幸を理解できるかもしれない。それが僕の言う物語の有効性なんです。

村上春樹の小説は、読者によって多様な解釈が可能である。上に書いた「スプートニクの恋人」についての解釈は、多様な解釈の可能性のうちの一つである。ここでの「スプートニクの恋人」は、コロッケのような働きをしているのだろう。
私は、「スプートニクの恋人」を、「ぼく」が「こちら側」に残る決意をすることを中心に解釈する。その解釈は、「スプートニクの恋人」という小説それ自体というより、解釈者である私の「人柄、世界を見る視点みたいなもの」を示しているのだろう。