小沢一郎と小泉純一郎

一昨日の日記(id:yagian:20050813#p2)で、政治改革と小泉純一郎の関係について書いた。
もともと、小選挙区制を中心とした政治改革を主張したのは小沢一郎である。その彼が主張した政治改革の成果を、小泉純一郎は最大限に活用している。小沢一郎は、今、小泉純一郎をどのような思いで見ているのであろうか。ぜひ、その心中を聞いてみたいと思う。
政治改革の結果として、現在、望ましい状況にあるかどうかは簡単には断言できない。しかし、小沢一郎が政治改革の動きを始めた当時の状況を考えれば、政治制度はずいぶん改善されたし、そうしなければならない必要性もあったと思う。
その当時の政治家の腐敗と中選挙区制の関係については、一昨日の日記に書いたとおりだと思う。政治家の腐敗と自民党社会党の馴れ合いを代表するできごととして、金丸信田辺誠北朝鮮訪問があると思う。北朝鮮政府と関係を持っていた社会党田辺誠が仲介し、自民党の実力者である金丸信北朝鮮を訪問し、2兆円の賠償を約束して、その見返りに金塊を受け取ったということが噂されている。ことの真偽はわからないが(私は、かなりありそうな話だと思っているが)、もし本当だとしたら、外国の企業から贈賄を受けた田中角栄どころではない。国対政治を代表する金丸信田辺誠を見ていると、国対政治というものは、実に醜く、問題が大きいものだと思う。
そのような状況を目の当たりにしていた小沢一郎が、このままでは、冷戦終結後の世界に対応できないと考えるのも自然だと思う。冷戦時代、日本の安全保障は、ありていにいえば、アメリカに丸投げで委ねられていたのである。冷戦が終結した後、同じような形でアメリカに安全保障を委ねられるとは限らないという強い危機感があったのだろう。小沢一郎が言う「普通の国」とは、結局、そういうことだったのではないか。
政治改革を進めていた当時、権力は分散的であり、迅速で合理的な意志決定ができない状況にあった。自民党は派閥のバランスで意志決定が行われていた。政府も省庁間の縦割りが著しく、整合的な意志決定が阻まれていた。
日本が自らの安全保障を自らの手で確保するためには、一元的な意志決定が必要と考えられていたため、政治改革、行政改革では、政権政党の総裁=首相の権限の強化が指向されたのだろう。軍事的な意味の安全保障ではないが、阪神淡路大震災オウム真理教事件で適切な危機管理ができなかった。現在では、総裁=首相の権限が強化され、その当時よりははるかに危機管理に対応できる体制になっている。
そして、小泉純一郎は、総裁=首相の権限を最大限に活用して、自民党のなかで権力闘争を進め、多様な考えを持つメンバーの緩やかな集合体だった自民党を、自分の考えに同調するメンバーに純化した党に改造しようとしている。そのプロセスを見ていると、先鋭的な考えを持ち強い結束を保つ同志を集め、党の執行部を押さえて権力を奪取したボルシェビキを連想する。
小沢一郎は、小選挙区制の導入と、その後の政界再編で、「普通の国」を目指す政治家で純化された政党を作り、政権を奪取することを目指していたのではないかと思う。しかし、その試みは挫折した。
細川内閣は、あまりにも多様な考えを持つ者の集団だった。これを第一歩として、ボルシェビキのように先鋭的な同志を集めた勢力を作っていこうと考えていたのだと思う。しかし、新生党新進党自由党と、メンバーの純化を進めれば進めるほど少数政党になってしまい、政権から遠ざかっていった。おそらくは、小沢一郎が考えていたような政治体制が、小泉純一郎の手によって実現している。
それでは、今、望ましい状況にあるのだろうか。
小選挙区制によって二大政党が政権交代をするという政治体制が、現代に適合しているのか、大きな疑問を感じている。右翼と左翼が対立していた時代には、二大政党制による二者択一はわかりやすい。しかし、現在、二大政党の明確な対立軸を設定するのは難しい。今回の選挙では、民主党自民党に対する論点を設定するのに苦しんでいることが、このことをよく現していると思う。
政権党は、政権を持っているということで求心力を持つことができる。一方、野党は、求心力を持てない。また、政権党の総裁=首相は強力な権限を持っている。だから、実際には、政権党が大きな失策をしなければ、なかなか政権交代が実現しないのではないかと思える。
具体的なよい知恵があるわけではないが、衆議院小選挙区制の特化するとして、参議院はそれとは異なる個性がはっきりするような選挙方法にすること、また、衆議院参議院の採決が一致しなかった場合の決定方法について、制度を作り直す必要があるのではないだろうか。