ハナ肇とクレイジーキャツ

天才という言葉はあまり使いたくない。天才という言葉にふさわしいほど才能が傑出している人物などほとんどいないと思うからだ。
しかし、全盛期のクレイジーキャツの歌を聞いていると、青島幸男は天才と呼ぶにふさわしいのではないか、という気にさせられる(植木等についてもいずれ書きたい)。
「スーダラ節」を聞いていると、あまりに自然な論理展開で、たしかに「わかっちゃいるけどやめられない」ことを説得されてしまう。こんなに、自然で、なめらかな歌詞は、そうそう書けるものではない。
ホンダラ行進曲」の徹底した無意味さ。「だまって俺についてこい」のなかで、脈絡なく「見ろよ青い空、白い雲」と歌い出す無責任さ。
他の人には真似できない才能のきらめき。そして、青島幸男の天才たるゆえんは、その後の才能の枯渇である。一瞬だけまぶしくきらめいて、あっさり消えてしまう、これこそ天才の条件である。