小泉純一郎とは何者だったのか

次の文章は、誰について書かれたものが想像してほしい。

 ××××は、彼の支持者たちに目的が一つしかないことを受け入れて、これを尊重するように強要した。××××はライバルの大失敗のおかげで何度も救われたのだが、彼の揺るぎない楽観主義がその理由とみなされることもあった。単なる幸運にすぎない場合も多かったが、そのような幸運をつかむことができるのは、絶望のなかでも最後まで耐え抜ける人物だけだ。大半の人はあきらめてしまい、明らかに見込みのない試みのために忍耐したいとは思わない。つまり、普通の人は感受性が強いために××××が得たような幸運をつかむことができなかったのである。……
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 ××××は最初から結論を持っていたので、他の真実を探ろうとする創造的な努力にはまったく価値を認めなかった。彼は他人の信念にはまったく尊敬の念を抱かなかった。当然、個人を育む「自由」を愛するこころなどまったく持ち合わせていなかった。……
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 確かに××××には創造的資質がまったく欠如しており、他の思想家の論理を巧みに、力強く、根気よく、詳細に説明するだけであり、視野が狭く、知性に限界があるのではとさえ思われていた。それでも彼は自らの知的空間のなかでは偉大な想像力を発揮して見せた。××××の権力の源泉は、彼の主張が並はずれて完全な(透明と言ってよいほどの)明快さを備えていることだった。彼は、たとえ不条理な結論が導かれる場合でも自分の理論を押し通し、戦術上必要でない限り、物事を散漫にしたり説明しないままで放っておくことはなかった。
 ××××は、自らの主張を極力具体的で単純なものにした。彼のレトリックからもそれは明らかだろう。彼は決して見事な語り部でも、雄弁家でもなかった。彼は特に話術に関しては下手でぎこちないところがあり、同じことを何度も繰り返して話すタイプだった。しかし、この繰り返しこそが彼のスタイルであり、強さでもあった。延々と続く主張の反復、粗野に演台をドンドンと叩く態度、ぎこちないジョークには、それでも一定の道筋から一歩たりとも外れない不屈の意志が感じられた。それが安定した力強さとなり、単調さで聴衆を幻惑したのだ。何度もさまざまな表現をつかって同じ主張を唱え、最終的には聴衆を洗脳していく。しずくが岩をもうがつように何度も何度も繰り返すことで、××××の主張は聴衆の思考のなかに折り込まれていった。××××ほど、反復の力によって賞賛すべき結果が得られることを知っていた人物はいないといってよいだろう。

この文章は、「フォーリン・アフェアーズ傑作選1922−1999 アメリカとアジアの出会い(上)」(朝日新聞社 ISBN:4022575638)に収録されている「レーニンとは何者だったのか」の抜粋である。××××には、もちろんレーニンが入る。しかし、××××に小泉純一郎と入れてもしっくりくるのではないだろうか。
以前の日記(id:yagian:20050815)に、小泉純一郎自民党で権力を奪取したスタイルがボルシェビキに似ていると書いたことがある。「レーニンとは何者だったのか」を読み直してみると、小泉純一郎とレーニンの共通性に改めて気がつく。
小泉純一郎は、戦国武将、特に、織田信長を自分になぞらえているという。また、彼の権力闘争のスタイルに織田信長の非情さを見る向きもある。しかし、小泉純一郎が直接参考にしているかどうかはわからないけれど、織田信長よりも、レーニンの方が彼の権力闘争のスタイルに似ているのである。