「国家の品格」についておまけ

藤原正彦国家の品格」(新潮新書 ISBN:4106101416)についての感想は、昨日の日記(http://d.hatena.ne.jp/yagian/20060202/1138887151)で完結させたつもりだったが、まだ語り残していることがあるような気がしている。
この前、本屋のレジに並んでいたら、「国家の品格」を二冊持っている初老のサラリーマンがいた。おそらく、いい本だから読め、と部下に渡すのだろう。「国家の品格」を渡された人はどう思うのか解らないけれど、すくなくとも、その初老のサラリーマンは、この本を読んでずいぶん感激したのだろう。
正直にいって、「国家の品格」に感動するような人が国家の品格を高めることはないだろうなと思うし、ずいぶん薄っぺらい安手な感動なんだろうなとも思う。昨日の日記に書いたとおり、この本に感動する人は、あまり日本の伝統文化になじみのない人たちなのだろう、とも思う。
以前の日記(id:yagian:20050220#p1)でこんなことを書いたことがある。

もともと、ヒッピーや学生運動をしていた人たちはあまり好きではない。彼らが社会に反発し反抗したいと思う理由はわかるけれども、彼ら自身は傲慢で感情移入できないことが多い。今回のアメリカの大統領選挙で反ブッシュの運動をしていた人たちの多くは、ブッシュを支持する素朴なキリスト教徒たちをバカ同然の狂信者だと言わんばかりだった。ブッシュを支持する人も、反対する人もそれぞれに理由があるはずだけれども、そのことに思いを致さず一方的に見下す傲慢さは、非常に感じが悪いと思った。それと同じような雰囲気を彼らに感じるのである。

国家の品格」を好む人たちをからかって、嗤うことはできる。しかし、そうやって切って捨てることは、傲慢なことではないか、とも思う。なぜ、彼らは、こういった本に感動してしまうのだろうか。理解したいと思う。
そこで、「国家の品格」に言及があったはてなウェブログをいくつか拾い読みをしてみた。
この本を肯定している人たちは、「この世の中どこかおかしい」ともやもやと感じていたことに、わかりやすく形を示してもらった、と感じているようだ。確かに、「この世の中どこかおかしい」と感じる、ということはよくわかる。自分も、もやもやした疑問というものは、同じように抱えていて、ぼんやりとした不安感はある。
その「おかしさ」の源を、グローバリゼーションやアメリカが主張する民主化といったものに求めたいという心性もわからなくもない。自分は、グローバリゼーションやアメリカナイゼーション(って言葉はあまり使わないか?)のせいで「世の中おかしくなっている」とは思わないけれど、そんな風に感じる気持ちもわからなくもない。
しかし、しかし、である。日本の伝統的な武士道精神、美しい情緒こそ、よりどころにすべきだ、という回答は安易すぎるとは思わないのだろうか。なぜ、こんな話に納得するのがわからない。
はっきりいって、アメリカの中西部の人たちがブッシュに投票する理由を想像する方がよほどたやすい。
自分は傲慢すぎるのだろうか。