天皇家をめぐる伝統と変化

皇室典範の改正をめぐる議論を見ていると、男子男系による皇位の継承を守るべきと主張している人たちも、天皇家の伝統について、さほど深い考察があるようには見えない。
天皇天皇であるのは、天皇家の伝統が大きな意味を持っていることは間違いない。天皇家が特別の伝統を持っているからこそ、天皇は特別な存在となっている。しかし、一方で、現実の天皇天皇家のあり方は、時代によって大きく変化しており、決して伝統を墨守しているわけではない。それぞれの時代で天皇天皇でありつづけたのは、伝統と変化のバランスを保つことができたからである。男子男系による皇位の継承を守るべきか否かは、現在、そして、これからの天皇天皇家のあり方の全体を考え、守り続けるべき必須の伝統なのか、変化させてもよいことがらなのかを判断する必要がある。そういった視点からの議論はあまり目にしない。
天皇と皇太子の対立を見ていると、天皇家の伝統と変化について、二人の考え方がずれていることが原因になっているように見える。明治維新以来、天皇家は伝統を守ることよりも、それぞれに時代に適応して変化することに重点を置いたように思う(明治以前の天皇家のあり方はよく知らないので、もしかしたら、それぞれの時代で変化し続けていたのかもしれないけれど)。
伝統、という観点からは、東京への遷都は非常に大きな影響があったと思う。遷都してから140年になろうとしている現在でも、京都に行けば、天皇家と結びついた伝統、文化が色濃く残されているのがわかるし、東京では、天皇家と結びついた伝統、文化としては、さしたるものが育っていない。日本の伝統文化の伝承者として天皇を考えるならば、天皇は京都に戻った方がいい。少なくとも、天皇家の誰かが京都に住み、京都で伝統的な儀礼を営むべきである。東京での天皇は、両国国技館に大相撲の興行を見に行く。しかし、天皇が守るべき伝統文化は、大相撲の興行などではなく、もっと洗練されたハイカルチャーだと思う。天皇が東京にいる、ということは、天皇家が伝統よりも変化を選択したことのあらわれだと思う。
以前、このウェブログにも書いたけれど、戦後、天皇家は、日本国民の象徴たるべく、変化していく日本の家族のあり方を先取りすることを目指すようになったように思う。美智子妃による皇太子の教育は、天皇家というきわめて特殊な環境のなかであっても、ふつうの日本の家族のあり方にも理解が持てるようにと考えていたのではないか。その教育の結果、皇太子は自分の家庭を、天皇家の伝統を伝承する場ではなく、「ふつうの家庭」にしようと努めている。こどもの頃、ディズニーランドに遊びに行くのはごく一般的なことだ。だから、自分の娘もディズニーランドに連れて行きたいと考え、実行する。
天皇は、紀宮の結婚式で見せたような「ふつうの父親」としての顔も持っているけれど、それ以前に、自分は天皇であるという自覚が優先しているように思う。福田和也美智子皇后と雅子妃」(文春新書 ISBN:416660466X)には、天皇は公務に精勤しており、歴代の天皇のなかでも祭祀にきわめて熱心だという。天皇は、自分が天皇である根拠を、公務に精勤して国民の役にたつことと、祭祀を行い天皇の伝統を守ることの二つに見いだしているのではないか。その天皇の目からは、「ふつうの家庭」を築き上げることに努めている皇太子は、次期天皇としての自覚と資格に欠けるように見えるのだろう。「ふつうの人」としての感覚を忘れないように教育された皇太子から見れば、「ふつうの家庭」を築き上げようとすることに、なぜ反対するのか理解できない、ということなのではないか。
皇室典範の改正も、天皇家のあり方に大きな影響を与えるけれども、それより、いまの皇太子が天皇になったとき、天皇としての自覚に目覚めるのか、それとも、「ふつうの家庭」を守ることを優先しようとするのか、そのことの方が将来の天皇家のあり方に大きな影響を与えるのかもしれない。