ちゃんちゃらおかしい

ここのところ何度も繰り返して書いているけれど、大学では、文化人類学をかじっていた。文化人類学をかじると、文化相対主義が刷り込まれる。文化相対主義が刷り込まれていると、素朴に日本文化や伝統を礼賛している人を見ると、まったくもって、ちゃんちゃらおかしく感じる。そして、そのような、素朴な日本文化や伝統を礼賛している人のことを、実に簡単に批判できるようになる。
素朴に日本文化や伝統を礼賛している人のなかに、彼ら自身の専門分野では、ひとかどの人物である人も多い。そんな人が、なぜ、こんなにちゃんちゃらおかしいことを言うのか不思議に思うこともある。
しかし、自分が比較的よく分かっている分野に入ってきたとき、その人のことがちゃんちゃらおかしく見えるということは、逆に、自分があまり分かっていない分野に入っていったときには、自分がちゃんちゃらおかしく見えることをしているのかもしれない。自分が気がつかないというだけで。
相対主義の立場に立つと、こんな風に、人と自分との立ち位置について、ぐるぐると考えることになる。人のことだけではなく、自分のことも相対化すると、なかなかすっきりとした結論にはたどり着かない。自らが自分の考えにあえて疑問を投げかける。簡単ではないし、疲れもする。
相対主義に比べれば、素朴な絶対主義は、疲れもせず、楽で、爽快なんだろうと想像もする。しかし、安易にその方向に行ってはいけないとは、強く思っている。