率直さ

高浜虚子正宗白鳥志賀直哉といった人たちの文章を読んでいると、身も蓋もない率直な書きぶりに、あっけにとられつつも、感動することがある。自分もこんな風に率直でありたいと思いながらも、人間関係のことなど小心に考えてしまい、なかなか率直ではいられないことを、残念に思う。
最近、日本の伝統について考えるために、本居宣長にかかわる本をぽつぽつと読み始めている。本居宣長という人も、どうやら、身も蓋もないほど率直であったようだ。
小林秀雄本居宣長」(新潮文庫 ISBN:4101007063)からの孫引きだが、源氏物語について書いた「紫文要領」に、人の情について次のように書かれているという。

おほかたの人のまことの情といふ物は、女童のごとく、みれんに、おろかなる物也、男らしく、きつとして、かしこきは、実の情にあらず、それはうはべをつくろひ、かざりたる物也、実の心のそこを、さぐりてみれば、いかほどかしこき人も、みな女童にかはる事なし、それをはぢて、つヽむとつヽまぬとのたがひめ計也

普通の人のほんとうの性質というものは、女子供のように、未熟で愚かなものだ。男らしく、きりっとして、賢いというのは、ほんとうの性質ではなく、それはうわべをつくろって飾ったものだ。ほんとうの心の底を探ってみれば、どれだけ賢い人でも、みな女子供と変わることはなく、それを恥じてつつみ隠すか、つつみ隠さないかの違いに過ぎない。
このように言われてしまって、それでも自分は賢いと言い切れる人はいるのだろうか。
この本居宣長の言葉は、社会的な男性性の虚飾を指摘しているのだろう。前のエントリーで紹介したぶんまおさんは、自分のなかの女性性についてしばしば語っている。自分の中の女性性を見つめることは、宣長の言葉と通じているところがあるように思う。